<沖縄復帰50年>「地べたはって生きた」沖縄出身野宿者181人の証言を冊子に 川崎の支援団体 

2022年5月22日 06時00分
 川崎市のホームレス支援団体が沖縄の本土復帰50年の節目に、長年聞き取ってきた沖縄出身野宿者の「ライフヒストリー」を冊子にまとめた。工業が盛んな川崎には戦前戦後に沖縄などから多くの出稼ぎ労働者が集まったが、解雇や病気を理由に野宿生活を続ける人も少なくなかった。支援団体は「沖縄から遠く離れた川崎で、地べたをはって生きてきた人たちの人生を残したい」と語る。(安藤恭子)

自分の生まれた場所を地図で指す沖縄出身のホームレス男性(左)=2013年5月、川崎市幸区で(川崎野宿者聞き取りチーム提供)

 この団体は「川崎野宿者聞き取りチーム」。1972年の復帰から50年を迎えた今月発行の年報で、沖縄出身者181人から聞き取った復帰時の印象や故郷への思い、生活・労働史を特集した。聞き取り期間は、今年3月までの15年以上に及ぶ。
 編集した水嶋あきらさん(63)によると、川崎には戦前から、沖縄の労働者が親族や知人を頼りに集住した。バブル崩壊後の1990年代後半には、川崎区内の公園の野宿者の2~3割を沖縄出身者が占めたという。
 野宿者にも沖縄コミュニティーが存在した。「路上で酒を飲み、野宿者や地域の人と共同体をつくり、空き缶収集の役割や食料の分配、仕事を紹介し支え合う。沖縄特有の強いつながりに興味を持った」と水嶋さん。

◆軍属のトラックに敷かれて死んだが、線香代1セントも出ない

沖縄出身野宿者を特集した冊子の刷りを手にする水嶋陽さん=川崎市川崎区で

 50年生まれの男性は淡々と「父は(米)軍属のトラックに敷かれて死んだ。事故なんだけど、線香代一銭も出ていない。一銭じゃなくて1セントか。復帰前だから」と振り返った。復帰前、21歳で川崎に来た別の男性は「来る時はパスポート。(沖縄に)一時帰国したら『今は県だよ』って後輩が自慢した」。
 復帰後は本土との行き来にパスポートは要らなくなった。本土の高賃金は魅力で「横浜の高速道路、ほとんどペンキ塗ったよ」と胸を張る男性もいた。
 就職などで「沖縄差別」を受けたと答えた人は約8%の14人。「沖縄の人は採用したくない」と言われたほか、当初は「差別はない」と話していた人も「『日本語しゃべれないの』と女の子にばかにされた」と明かした。水嶋さんは「沖縄出身者は、見た目や会話で分かる。気にしては生きていけなかったから『差別はない』という答えに意味がある」と考える。

◆「この空は沖縄につながっている」と自死を踏みとどまる

 ひざの痛みでタクシー運転手を辞めた男性は自死しようとしたが、「この空は沖縄につながっている」と踏みとどまった。男性は聞き取りに「沖縄からは、アメリカも日本も東南アジアも見える。どこかの小さな島も、世界を見る眼をもつようになる」と説いた。
 「聞き取ってきた人たちに人生を託され、一緒に冊子を作った感覚」と水嶋さん。故郷の沖縄はいまだに過重な基地負担を強いられている。川崎の野宿者の声もたくさんの人に届けばと願う。
 冊子は、送料込みで2500円。利益は野宿者支援に充てる。問い合わせは水嶋さんのメール=story@jcom.zaq.ne.jp=へ。

 沖縄と出稼ぎ 沖縄から本土への出稼ぎは明治時代に始まり、第一次大戦後の「ソテツ地獄」と呼ばれる沖縄の経済危機を背景に、大正半ばに本格化した。主な移住先となった京浜や京阪神の工業地帯で、紡績や木材の工場などに従事。代表的な集住地域として川崎市や横浜市鶴見区、大阪市大正区、兵庫県尼崎市などが知られる。

関連キーワード


おすすめ情報

社会の新着

記事一覧