<働き方改革の死角>社員は消滅する

2019年12月14日 02時00分

ケン・ローチ氏=UPI・共同

 「わたしは、ダニエル・ブレイク」などで二度のカンヌ最高賞を受賞した英国の巨匠ケン・ローチ監督が新作で世界で進む「社員消滅」の現実に警鐘を鳴らしている。八十三歳の監督が、引退を撤回して告発するのは働き手を社員として雇うのではなく、個人事業主に置き換える潮流。雇用システムの世界的な変化の「落とし穴」だ。
 「もう社員は雇わない。個人事業主として契約する」-。十三日に公開した映画「家族を想うとき」はこんなシーンで始まる。
 中年男性がマイホームと家族の幸せを夢見て運送会社の採用面接に行く。「収入増の誘い」に応じた男性だが、個人事業主ならではの落とし穴に気付かず、家族も崩壊の危機に陥る-。
 二〇〇〇年ごろからパートや派遣など非正規社員の増加が問題になってきた。だが、いま企業は雇うことすらやめ社員を個人事業主に置き換え、リスクもコストも全て働き手に押しつけようとしている。日本でもウーバーイーツの配達員や一部の企業で加速する流れだ。カンヌ映画祭での会見でローチ監督は言った。
 「仕事をするのは家族を守るためのはず。仕事によって家族が崩壊するのは根本的に間違っている」
 (編集委員・久原穏)

◆個人事業主化、日本では政府主導 コストもリスクも押し付け

 ローチ監督の映画の主人公が直面した「個人事業主の落とし穴」はこうだ。
 面接担当者の誘い文句は「働き次第で稼ぎは増え、もうけは全部自分のものだ」。社員なら固定給だが、個人事業主になれば働いただけ収入増にはなる。
 だが、トラックは自前でガソリン代も駐車代も自己負担。運ぶ荷物の個数で報酬は決まるが、ノルマをこなせねば高い罰金。事故に遭っても治療費は自己負担。GPS付き専用端末で監視され、分刻みで追い立てられる。ノルマ達成のため男性は一日十四時間働くはめに。目の届かない長男が非行に走り家族は崩壊寸前に追い込まれる。映画は何人もの労働者の実体験を下敷きにした。
 ◇ 
 映画が描いた働き手の落とし穴は写し絵のように日本でも現実になっている。

「家族を想うとき」の一場面。配達中、娘との休憩も専用端末で会社に監視されている

 「兄が亡くなったのは長時間労働させた会社の責任だ」。十一月下旬、佐川急便から配送業務を請け負っていて亡くなった大阪市内の個人事業主男性の妹が、死因は過労死として訴えた裁判の初回口頭弁論が大阪地裁で開かれた。
 佐川は「雇用契約はなく、当社に責任はない」と主張した。配送業では社員でなく個人事業主に請け負わせる例が増えている。
 計測器メーカーのタニタは社員に一度退職してもらい、個人事業主として会社と契約を結び直す制度を一七年一月から導入。契約の切り替えは、強制ではなく本人の希望を聞き、社員の約一割にあたる三十六人が応じた。二一年新卒社員の採用からは、制度に賛同するかを問うという。同社は「能力とやる気を高めるため」と説明する。
 だが、日本労働弁護団の嶋崎量(しまさきちから)弁護士は「労働基準法による規制は当事者間で合意しても免れるものではない。違法行為となる可能性は濃厚」と指摘。「一社が法を守らずに利益を追求したら、しわ寄せは同業他社のみならず社会全体を蝕(むしば)む」と懸念する。
 今や世界的に進む個人事業主化の流れだが、日本は政府が旗を振って主導している。安倍政権が進める働き方改革は、柔軟で自由な働き方として個人事業主やフリーランスなどを推奨している。こうした「雇用によらない働き方」を増やす一方、さらにその先を示唆する報告書もまとめた。厚生労働省の懇談会がまとめた「働き方の未来 2035」は「社員ゼロ」の企業社会をこう描く。
 「二〇三五年の企業は、プロジェクトごとに人が入れ替わり、柔軟に企業の内外を移動する。企業組織が人を抱え込む『正社員』のようなスタイルは変化を迫られる」
 そこでは社員(労働者)は消滅、雇用関係を前提とする労働法制は不要となる。経営者らは経済取引の民事ルールを基礎にすればよくなるとまで展望した。
 労働問題に詳しい法政大の上西充子教授はこう警鐘を鳴らす。「歴史を振り返れば、労働法ができたのは、劣悪な労働条件で働かせれば社会の持続可能性が脅かされることが理解されたからだ。今、必要なのは労働法の縛りから経営者を解放することではなく、新たな法的な仕組みを整えることだ」 (編集委員・久原穏)
<ケン・ローチ監督> 1936年、英国生まれの映画監督。労働者階級や貧困、移民などの問題に焦点を当てた作品を数多く発表。2006年、「麦の穂をゆらす風」でカンヌ国際映画祭の最高賞、パルム・ドール賞を受賞。16年には「わたしは、ダニエル・ブレイク」で再び同賞受賞。その後、引退宣言したが、急速に広まる「雇用によらない働き方」に危機感を抱き引退を撤回。

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