反対派の声生かし「シモキタ」感を表現 下北沢駅周辺で「線路街」が完成

2022年5月25日 06時00分

小田急線路跡地に完成した「下北線路街」。憩いの場所となる緑地や広場もある=東京都世田谷区で(沢田将人撮影)

 2013年に地下化された小田急線下北沢駅(東京都世田谷区)周辺の線路跡地1.7キロで整備が進められた「下北線路街」が完成した。デザインは、街の再開発に反対していた住民の意見を反映。劇場やライブハウス、古着店などが路地にひしめき「おもちゃ箱をひっくり返したような」といわれる雑多さが愛される「シモキタらしさ」を表現した。27日、関係者による記念セレモニーがある。(山下葉月)

◆ショップ、温泉旅館…ほとんど2階建て

 街は下北沢駅を真ん中に新宿寄りの東北沢駅から、小田原方面の世田谷代田駅まで広がる。面積約2万7500平方メートル。13区画に分けて整備された。
 ユニークなショップに加え、賃貸住宅や認可保育園、温泉旅館などが並ぶ。ほとんどが2階建てで、緑地を広くとった。土地の有効利用のため建ぺい率や容積率を目いっぱい使う通常の再開発とは一線を画した、低層開発を実現した。
 下北沢駅と東北沢駅の中間に昨年開業した「リロード」は、全24棟の大小の建物が複雑に連なり、屋内を歩くと迷路のよう。入居するショップは「90年代のアメリカンカルチャー」を発信する理髪店などいずれも個性的だ。路地を曲がれば何があるのか予想もつかない、シモキタの迷宮感を取り入れた。
 街づくりのアイデアは、事業者の小田急電鉄と区に下北沢駅周辺の再開発に反対していた住民も加わり、練った。再開発で街を「変える」のではなく、地域が本来持つ魅力を引き出すことを目指し、小田急は「支援型開発」と命名した。

◆背景には市民運動

 鉄道会社が各地で手掛けるありきたりな商業ビルではない、ユニークな再開発が実現した背景に市民運動の存在があった。
 きっかけは終戦直後に計画され、休眠状態だった道路計画が再浮上したこと。2003年、都が小田急線の地下化を決めた時、連続立体交差事業の一環として商店街を貫く道路整備が計画に組み込まれ、区は規制緩和などで大規模な再開発を可能とする地区計画を決めた。再開発阻止を訴える街頭パレードや集会がひんぱんに開かれ、作家やミュージシャンらが国内外から賛同のメッセージを寄せて話題を集めた。
 再開発の反対派は、以前からさまざまな代替案を考えていた。2000年代半ば、都市計画の成功例として世界的に有名なブラジル・クリチバ市の元市長で建築家のジャイメ・レルネル氏が、線路跡地を散策路にして文化施設を誘致する「文化と緑のモール」を提案したこともある。現在の下北線路街を先取りしたようなアイデアだった。
 再開発反対グループ「Save the 下北沢」の共同代表を務めた下平憲治さん(60)は「私たちが声を上げなかったら、通り一遍な施設になっただろう」と話す。

◆いまだ残る「爆弾」

 街の姿を大きく変える再開発計画に対し、反対する住民と小田急電鉄、行政が一つのテーブルにつきアイデアをまとめ、東京・下北沢の小田急線の線路跡地の再開発が完成した。ただ、反対運動に火を付けた道路計画は撤回されていない。商店主らでつくる、下北沢商業者協議会代表として反対運動の旗を振ってきたバー「レディ・ジェーン」オーナーの大木雄高さん(76)は「爆弾は抱えたままだ」と次の闘いを見据える。
 反対派との対話に消極的だった区の態度が変化したのは2011年、保坂展人区長が初当選してからだ。住民参加の会議が発足し、活発な議論が戦わされた。小田急電鉄で下北沢の街づくり担当の課長を務める橋本崇さんは、17年7月に着任以来、住民と重ねた話し合いは「200回以上」に上るという。
 3月末、下北沢の住民たちの闘争を記録したドキュメンタリーが下北線路街で上映された。大木さんが制作総指揮の「下北沢で生きる」。会場には、住民と保坂区長、小田急の担当者が一堂に会し、関係が対立から対話へと変化したことを印象づけた。「Save the 下北沢」の下平憲治さんは「(下北沢の街づくりは)壮大な社会実験だ」と話した。

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