<社説>最高裁国民審査 「市民の司法」のために

2022年5月26日 07時45分
 海外に住む日本人が最高裁裁判官の国民審査に投票できないのは「違憲」。国政選挙の在外投票は認められており、今回の最高裁判断は当然だ。形骸化が指摘される審査制度の活性化も図りたい。
 さまざまな争点の裁判は海外からも注視されている。最高裁裁判官を罷免すべきかを判断する国民審査から在外邦人が取り残されていたこと自体が不思議である。
 最高裁大法廷は「選挙権同様に国民に審査権を保障している」と述べた。国会の「立法不作為」責任も認め、国に賠償を命じた。
 在外投票は、二〇〇六年の公選法改正で衆院小選挙区でも認められた。その時点で、国民審査にも取り組むべきではなかったか。
 憲法七九条に基づく審査権である。映画監督、想田和弘さんらによる「違憲だ」との訴えは意義あるものだった。
 裁判で、国側は「世界中に用紙を送付するのは事務手続きに要する日数を考えると不可能」と主張し、原告側は「つまらない理由で民主主義の根幹に関わる権利が奪われてはいけない」と応じた。
 国側は国民審査を軽く見てはいないか。国民側も裁判官に「×」と書くに足る情報も自信もなく、そもそも裁判官の「顔」が見えない、と思うのかもしれない。
 今回の訴訟は、制度の問題点も浮き彫りにしたといえる。
 確かに国民審査で罷免された裁判官はいないし、昨年十月の衆院選と同時に行われた国民審査でも「×」が付いた割合は、最も多い人で7%台にすぎなかった。
 しかし、もし「×」の数が増えれば、裁判官に緊張感が生まれ、市民感覚を意識した司法に変わるかもしれない。想田さんはそう考えていたという。
 三権分立で司法は独立しているので、司法の暴走もありうるし、極度の消極主義もありうる。そうした前提で考えれば、国民が直接判断できる日本独特の国民審査の制度は、民主的な統制の方法として意義がある。
 検察の民主的統制として検察審査会が生まれ、その後の法整備で「強制起訴」制度ができたように審査制度も手直しを進めたい。
 用紙送付と日数を壁と言うならインターネットを積極活用したらどうか。裁判官の顔が見えるような、そして裁判に緊張感をもたらすような方法を考えたい。「市民感覚の司法」のために。

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