「もう一度勉強したい」 山の手空襲で被災した84歳女性 墨田区の自主夜間中学で夢実現

2022年5月26日 17時00分


ボランティアの英語講師の説明に耳を傾ける原田京子さん=東京都墨田区で

 太平洋戦争末期の1945年5月、東京都心や山手地域を襲った「山の手空襲」から77年。自宅を焼かれ、一家が困窮した原田京子さん(84)=墨田区=は子どもの頃、十分な教育を受けられなかった。傘寿を過ぎてから「もう一度勉強したい」との夢をかなえ、今はボランティアが運営する自主夜間中学で学ぶ。「苦労したからこそ学ぶ楽しさが分かる」と言う。(太田理英子)

◆世田谷上空にB29のごう音、一夜で自宅跡形もなく

 「エク…エクスキューズミー」。原田さんが中学1年の英会話テキストを読んでいた。墨田区の自主夜間中学「えんぴつの会」の授業。講師が「ゆっくり」と声をかける。原田さんは「舌が回らない。練習してきます」。
 空襲に遭ったのは5月25〜26日。原田さんは国民学校の2年生で、世田谷区野沢で両親、3人の弟妹と暮らしていた。夜中に空襲警報が鳴るとすぐに、B29爆撃機のごう音が聞こえた。
 住宅街に炎が上がり、子どもの叫び声が響いた。「防空ごうも危ない」と父親が言い、一家で近所の屋敷の庭に逃げた。水でぬらした布団をかぶり、焼夷しょうい弾の落下音におびえながらB29が去るのを待った。夜が明けると住宅街の大半が焼け、自宅は跡形もなかった。
 困窮した一家は、父親の実家がある新潟県に身を寄せた。そして終戦。一家は原田さんが新制の小学校6年の時、東京に戻ることを決めて墨田区へ引っ越した。

◆家計を助けるため、進学あきらめる

 弟が2人増え、父親の日払いの仕事だけでは家計が苦しかった。中学に通うのを諦めた原田さんは、母親と橋の上であめを売ったり、年齢をごまかして玩具販売会社などで働いたりした。元同級生の近況を聞くたびに「自分も学校に行きたかった」とうらやましさが募った。
 22歳で結婚。夫が営むゴム製品製造会社で働いた。経理の仕事は必死になって覚えたが手紙や書類を書く時に簡単な漢字や「ですます」の使い方をよく間違えた。「もう一度、学びたい」と思い続けていた。

◆「何歳になっても学びたい」外国人観光客と会話、目指して

 会社を閉じて時間ができた80代になり、長年の夢を実現させた。2019年から墨田区立の夜間中学に入り、今年3月に卒業。「えんぴつの会」には区立の夜間中学在学中の20年秋から通い、英語や国語、数学の勉強を続けてきた。
 日本語の文法や英語の発音を覚えるのに苦労している。時間をかけて予習復習し、授業に臨む。「戦争がなければこんな大変な思いはしなかった。覚えるのは苦しいけど、仲間との交流や問題が解けた時の楽しさがあるから続けられる。何歳になっても学びたい」。英会話の力をつけて外国人観光客と話せるようになることが目標だ。

 山の手空襲 1945年5月24日と25〜26日の2度、東京の都心部と山手地域を襲った大規模空襲。25〜26日の空襲では現在の中央、新宿、渋谷、世田谷の各区などに約460機のB29爆撃機が3200トンもの焼夷弾を投下した。家屋約16万戸が被災し、3000人以上が犠牲になったとされる。現在の23区北西部を狙った同年4月13〜14日、都南部などでの15日の空襲と合わせて「山の手空襲」と呼ぶこともある。


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