<竿と筆 文人と釣り歩く>「釣魚迷(ちょうぎょめい)」西園寺公一

2022年5月29日 07時06分

◆奥日光で毛針釣り 気ながに待つことさ

自然を感じながらのフライフィッシングが釣り人に人気の湯川=いずれも栃木県日光市で

 明治の宰相、西園寺公望(きんもち)の孫である公一は幼少期から釣りに親しみ、「釣魚迷」(中国語で釣り狂い)と名乗るほどの釣り人に育った。同名のエッセーも残しており、その中の一編、「奥日光の鱒(ます)釣り 名人勘蔵の思い出」が味わい深い。
 戦時中、公一は、日光湯元温泉の旅館に滞在し、英国製の竹竿(たけざお)を担いで湯ノ湖や湯川へ通った。お供はきこりの勘蔵じいさんだ。
 湯川の上流部は昼なお暗い原生林の中。静かに流れる透明な流れに、勘蔵自慢の毛針「金胡麻(ごま)」「銀胡麻」を浮かす。すると宝石のように美しいカワマスやニジマスが飛び出してくる。
 疲れるとクレソンが茂る川辺で、たき火を囲んだ。
 ある日、勘蔵が「旦那さア、いちど相談にのっていただきてえと思ってたことがありますだ」と切り出した。赤ん坊の頃に生き別れになった一人娘にひと目でも会いたいのだという。
 公一は力になると約束し、「勘さん、思いつめずに、気ながに待つことさ」と慰める。エッセーではのんきな釣り三昧をつづっている公一だが、浮き沈みの激しい人生を送っている。
 オックスフォード大でマルクス経済学に傾倒。ジャーナリストから出発し、次第に政治の世界に足を踏み入れた。英国通の経歴を買われ、近衛文麿内閣のブレーンとして、英米との戦争を回避する道筋を探して奔走した。だが軍部、反英勢力の台頭で足をすくわれる。スパイ事件として知られるゾルゲ事件(一九四一〜四二年)に連座して逮捕され、禁錮一年六月、執行猶予二年の有罪判決を受けた上、公爵の継承権も剥奪された。
 つかの間の安息の時間。
 まもなく勘蔵は亡くなり、約束は果たせなかった。
 エッセーの最後は、こう結ばれている。
 「それから、戦争。その後、奥日光の仙境へもアメリカ軍の将校や下士官が入ってきて、傍若無人にふるまう時期がくる」
 日光の西洋毛針の歴史は明治時代にさかのぼる。避暑地の中禅寺湖畔には英仏伊など西欧諸国の別荘が立ち並び、外交官や家族たちが釣りやヨットで遊んだ。本国から取り寄せた魚を放し、欧州のような釣り場をつくった。東京アングリング・エンド・カンツリー倶楽部が組織され、日本の政財界の名士も加わった社交界が生まれた。だが開戦の四一年、東条英機内閣は同クラブに活動停止、解散命令を出す。ひとつの文化の終えんを、公一は肌で感じていたに違いない。

湯ノ湖から迫力のある音を立てて水が流れ落ちる湯滝

湯ノ湖近くの木に登る子ども連れのサル

 さて奥日光へ向かった。五月中旬の高原は新緑が芽吹き始めたばかり。湯滝沿いを下り、湯川に入る。
 魚は出ず、一キロほど下流の小滝に着いた。高さ五メートルほどの滝だ。公一のエッセーに、湯川上流部は「ゴロッチョ」と呼ぶ沈み針が効くと書いてあった。巻いたばかりの沈み針を滝つぼの白泡の中へ放り込む。
 次の瞬間に釣り糸が狂ったように暴れ始めた。水中に目をやると走り回っているのは、三十センチを超えるニジマス。五分ほどもやりとりをしたか。ネットを差し出したとき、ふっと糸の張りが消えてしまった。針が外れ、魚は淵へ消えていく。森はまた静寂に戻ったのだった。
<西園寺公一(さいおんじ・きんかず 一九〇六〜九三年)> 政治家。戦後の一九四七〜五三年に参議院議員を務め、五五年、ウィーンで開かれた世界平和評議会に出席。後に中国に移住し、周恩来らと親睦を深めて、日中国交回復の礎をつくった。
 文・坂本充孝/写真・佐藤哲紀
 原則毎月第4日曜日に掲載。次回の予定は6月26日。
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