加害の心理に物語で迫る セクハラが題材 『生皮』刊行の井上荒野さん 許容する「空気」変えたい

2022年5月30日 07時28分

朝日新聞出版提供、掛祥葉子撮影

 作家井上荒野(あれの)さん(61)が、性暴力を題材にした小説『生皮 あるセクシャルハラスメントの光景』(朝日新聞出版、1980円)を刊行した。加害者と被害者の間にある埋めがたい認識のギャップとともに、ハラスメントを生み、許してきた社会の「空気」をリアルに描き出す。ありふれた人間関係の延長にある加害の構図に、「どの登場人物も、私たちと同じ線の上にいる」と話す。 (谷口大河)
 執筆のきっかけは二〇一八年、人権活動で国際的に活躍する男性フォトジャーナリストのセクハラを巡る報道。「一人の人間にまったく違う二つの面があるのはどういうことか。加害者や被害者の家族、周囲がどう思うのかも謎だった」。疑問を種に、それぞれの立ち位置でセクハラに関わる人々を想像していった。
 物語の中心は、小説教室のカリスマ講師・月島と、七年前に彼から性行為を強いられたことに苦しむ元生徒の女性。月島は教室の集まりで公然と、気に入った女性に近づくことを繰り返していた。「閉じたコミュニティーの中で、ある種の神様」。権力を振るうことができる環境によって、加害はエスカレートする。
 月島はやがて告発されるが、女性と性的関係を持つために暴力を振るったわけでも、脅したわけでもない。加害の意識はなく、指導に必要な<かかわり>、<いい小説を書いてほしかった>故の行為と考えているのだ。一方、女性は月島の接近に困惑と嫌悪を覚えながらも、状況を受け入れようとする−。セクハラに至る過程が、迫真の心理描写で表現されている。「加害者がどう自分の中で整合性をとり、被害者がどう自分を納得させようとするのか。緻密に考えた」
 作中では、ハラスメントを巡る二次加害にも目を向けた。被害を告発した女性は、中傷や臆測、興味本位の言葉によって心身をさいなまれる。「他人への想像力を持ってほしい」と井上さん。「なぜ七年前のことを今告発するのか。七年もたたなければ言えなかったのかもしれない。被害に遭っても、生きるためになかったことにする人、忘れようとする人だっている」
 ハラスメントの背景には、社会の空気が存在する。井上さん自身、約三十年の作家生活で、「これくらいは我慢した方がよい」という空気の中を生きてきたと振り返る。「自分が具体的に加担したとは思わないが、あまり話したくない話題が出た時、笑ったり、平気でいたりすることで、誰かを傷つけたかもしれない」
 現実社会を見渡すと、ここ十年ほどで、そんな空気も「ゆっくりと少しずつ、変わってきた」と感じている。今年に入り、俳優たちが映画界における性加害を相次いで告発した。それを受け、映画原作者の作家たち十八人は、環境改善を目指す声明を出した。井上さんも、賛同者に名を連ねた。「声を上げるのはものすごくつらいことだし、他人が『勇気を出して』とは言えない。ただ『味方はいる』と言いたかった」
 ハラスメントに反対する声が続々と上がる現在の流れを、一時のものにしてはならないとも考える。被害者が勇気を奮い、個々の実態が明るみに出ても、社会が変わらなければ「スキャンダル」として消費されるだけ。「私たちの認識を変えていかなくてはならない」。他者を尊重し、おかしいことはおかしいと言える。そんな社会をつくるために。

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