<芸人 今昔ものがたり 西条昇>ビートたけし編(3) 過激なネタに客あぜん

2022年6月1日 07時30分

漫才コンビのツービート(ビートたけし(左)とビートきよし)=1981年撮影

 後にビートきよしを名乗る、先輩の兼子二郎から「漫才なら仕事が山ほどあるぜ」と誘われてコンビを組んだものの、現実は甘くなかった。
 コンビ名は松鶴家二郎・次郎、空たかし・きよしを経てツービートに。きよしの作ったネタが全くウケなかったことからネタ作りはたけしの担当になった。首をコキコキさせながらお年寄りを扱ったブラックジョークや相方の出身地を徹底的にこき下ろすネタを早口でまくし立て、きよしが「よしなさい」とツッコミを入れる独特のスタイルが出来上がった。
 私は小学6年の時に父親に連れられて行った浅草の松竹演芸場で初めて彼らの漫才を見たが、年齢層の高い観客は笑うよりも呆気(あっけ)にとられていた。
 その頃はキャバレーのショーに出演しても、ネタがきつ過ぎるとの理由で何度も支配人に帰されてしまう。酒に酔ったたけしは客とのけんかを繰り返し、業者の間で「ツービートだけは使うな」と評判になった。
 仕事は選ばず、ギャラがカレーライス1杯、電車賃のみという仕事まで引き受けた。三宅島の防波堤にいる観客に向け、船に乗って波に揺られながら漫才をしたこともある。
 今でいう「反コンプライアンス」的なネタが多く、テレビ局のディレクターたちも当初は番組に使うことを怖がっていた。
 しかし、徐々に時代のほうがツービートに近づいていき、2時間ぶっ続けで漫才を行うイベントに多くの若者が集まった。1979年には日曜夜9時の「花王名人劇場」に出演。嵐のような漫才ブームが巻き起こるのは翌80年春のことだった。

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