<書評>『さよなら、野口健』小林元喜 著

2022年6月5日 07時00分

◆「冒険家」の激情、丸裸に
[評]小松成美(作家)

 読み終わった後「痛い」と思う作品がある。小説でもノンフィクションでも、心が揺さぶられ感情が噴き上がるだけでなく、体に痛みが残るのだ。例えば、石原慎太郎の『太陽の季節』やW・バロウズの『裸のランチ』、西村賢太の『苦役列車』には、顔を歪(ゆが)め、胸にはずんと重いダメージが残った。
 本書は、読み手の内面にまで影響を与える「痛み」をはらんでいる。文章は荒削りでその構成も時に乱暴だ。だが、読者は章を追うごとに、生きることに必死で情熱のまま突き進む“傍若無人”な著者の虜(とりこ)になっていく。
 この作品に登場する二人の主人公は、一般的日本人の価値観から大きくズレたアウトサイダーである。一人は、一九九九年に七大陸最高峰への登頂を世界最年少(当時)で達成したのち、環境活動家として富士山やエベレストの清掃活動を行う登山家の野口健。もう一人は、野口のマネージャーであった著者。
 二〇〇三年からの十八年間のうち計十年間、野口のマネージャーを務めていた著者はその間、三度辞めている。野口に苦しめられた理由が浮かび上がる文章に、今も憤りが渦巻いていることがわかる。メディアで見せる朗らかな顔とは違う陰険さ、政治への執着心など、野口を丸裸にする行為に容赦はない。
 しかし、本文を読み進めていくと、野口を描くパートがむしろ前奏なのだと気づく。著者は自分を曝(さら)け出すことにも躊躇(ちゅうちょ)がない。その激情と無軌道な日々は「登山家として三・五流」の野口の生き方と双璧だ。青春の日々に著者が手繰り寄せた村上龍や石原慎太郎との輝かしい時間に向かう道程は、成功の見込みのない“挑戦”を求めてやまない野口の“冒険”にどこか似ている。
 やりがいを求め、思い詰め、精神や心臓を病み、マネージャーという仕事に辟易(へきえき)する著者は、人生の目的だった執筆に取り掛かると、その主題に最も厄介な存在を選んだ。ここに連なる文章は、著者が格闘の末に受けた途轍(とてつ)もない「痛み」のすばらしい対価である。
(集英社インターナショナル・2090円)
1978年生まれ。登山家野口健の元マネジャー。現在はベンチャー企業勤務。

◆もう1冊

野口健著『落ちこぼれてエベレスト』(集英社文庫)

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