<書評>『彼女が知らない隣人たち』あさのあつこ 著

2022年6月5日 07時00分

◆平穏な日常 綻びを機に…
[評]吉田伸子(書評家)

 人口百万をわずかに超える地方都市。街の半分を一望できる団地の一画に、咏子(えいこ)が家族とともに越してきたのは十年前。一戸建ては、咏子の子どものころからの夢だった。上りきった坂道から街を眺めるのは、咏子にとっては、穏やかで幸せな日々を噛(か)み締めることでもあったのだが、ある日、いつものように街を眺めていた咏子の視界に入ってきたのは、一筋の白い煙。胸騒ぎを覚えた咏子に、PTAで知り合ったママ友・吉澤から電話が入る。何かが爆発したみたいだ、と。
 続いて、図書館でも小さな爆発が起こったことで、咏子のまわりに不穏な空気が漂い始める。咏子のパート先にいるベトナム人実習生たちへの、謂(いわ)れのない差別、高校生の息子との衝突と、彼の言動に抱いてしまう不信感、肥満気味の娘へのいらだちや、夫に感じてしまう違和感……。平穏な日常が、ある日、ふとしたことから綻(ほころ)びていく様と、それを機に一人の女性が変わっていく様が丁寧に描かれていて、説得力を持つ。
 両親から尊重されることなく育ったため、周りの空気を読み、自己主張をしないことが、自分を守る術(すべ)だったはずの咏子。だが、爆発事件をきっかけに、それまで目を向けてさえいなかった“現実”や自分自身と、悩みつつも向き合うようになっていく。咏子がこれまで知らなかった街の顔や、知らなかった友人の顔。何より、咏子を慕って懸命に仕事を覚えようとしていたベトナム人のクエが受けた暴力に、咏子は目を背けていられなくなる。
 もしかしたら、世界を変えていくのに必要なのは、こんなふうに、一人一人がその意識を変えていくことなのかもしれない。小さな小さな声や行動でも、それがやがて大きな流れにつながっていくことを、私たちは信じなくてはいけないし、信じることを諦めてはいけないのだ。
 そして、その信じた先には、必ず道が開けることも。咏子の変化は、ささやかな、けれど確かな希望でもある。
(KADOKAWA・1760円)
作家。『バッテリー』とその続編で野間児童文芸賞など受賞。ほかに『たまゆら』など。

◆もう1冊

町田そのこ著『宙(そら)ごはん』(小学館)。家族のあり方と大事な人と食べる一皿の大切さを教えてくれる一冊。

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