<土曜訪問>ぶざまで誇らしい青春 妻・河野裕子さんとの回想録を刊行 永田和宏さん(歌人)

2022年6月4日 12時58分
 人には運命とも思える大切な出会いがある。現代短歌を代表する歌人で細胞生物学者の永田和宏さん(75)=滋賀県出身=が「自分の人生の一番大きな意味」と話すのは、歌人で妻の河野裕子さん=二〇一〇年、乳がんのため六十四歳で死去=とめぐり合ったこと。この春出た回想録『あの胸が岬のように遠かった』(新潮社)では、青春期の二人を深い愛情がにじむ筆致でつづった。
 今も夫妻の表札がかかる京都市内の自宅を訪ねた。思い出が息づく家で今、永田さんは一人で暮らす。「河野は僕が一人になるのをすごく心配していた」。多忙な中、家事全般をこなし、妻が愛したコスモスを庭で育て続けている。
 これまで河野さんとの闘病記や家族のエッセー集を刊行してきた永田さん。新刊では、大学時代の出会いから結婚までの約五年について、河野さんが保管していた当時の日記と手紙を基に振り返った。
 半世紀も前の、ごく個人的な思い出を書いたのは「河野が人を思う一途(いちず)さを残したかった」。のろけのようだが、そうではない。当時、河野さんは永田さんとは別の男性(本書は「N」と表記)にも思いを寄せていた。日記には二人の間で懊悩(おうのう)する心境と、そのころに河野さんが詠んだ結晶のような歌が刻まれている。
・陽にすかし葉脈くらきを見つめをり二人のひとを愛してしまへり
 「若い頃なら(Nへの思いに)『こんちくしょう』と思っただろうけど。自分自身にうそをつけない気持ちがつづられている」と永田さん。日記は河野さんが亡くなった翌年に見つけた。「ちょっと怖さもあって最初は読めなかったが、次第に疑問が首をもたげてきた。一生懸命に思ってくれた河野に、自分は応えられたのか、ふさわしかったのか」。やはりのろけかもしれない。ともあれ、死去から数年後、答えを求めるように日記を開き、感動を覚えたことが、執筆に向かうきっかけとなった。
 回想録は、若い二人が接近していく姿が情熱的で、時に赤面を誘う。タクシーの中で口づけを交わした時は、運転手があきれ混じりに<ええ加減にしときや>。「迷惑だよねえ、あれはよう覚えてるな」
 甘酸っぱい逸話だけではない。大学院入学試験の失敗などが重なった頃、永田さんは睡眠薬を大量に服用、病院搬送された。初めて明かした過去だ。そうしたつらい出来事や衝突も「自分たちの時間」としてもらさず書いた。
 書き終えて得たのは答えというより納得だ。「似た者同士の二人はこんなふうにしか生きられなかった。ぶざまでみっともないけれど、誇らしい青春だった」
 河野さんの死去から十年余り。今も書斎や居間などに彼女の写真を飾り、短歌では「きみ」「あなた」と呼び掛け続ける。
・コロナ禍を生きるは幸せならざれどそれさへ知らぬきみをかなしむ
 「最近、過剰に河野が(歌に)顔を見せるので、少し閉口している。もうちょっと離れなあかん」と苦笑いを浮かべた。
 もちろん河野さんのことばかり考えているわけではない。学者としても細胞内タンパク質の研究で世界的に知られ、現在はJT生命誌研究館(大阪府)館長。研究や教育の現場に身を置き、社会を見つめてきた。
 昨年出た第十五歌集『置行堀(おいてけぼり)』にこんな歌がある。
・権力にはきつと容易(たやす)く屈するだらう弱きわれゆゑいま発言す 
 近年は、国内外で言葉や自由が危機にあると感じることが増えたという。「みんなを一つに束ねる言葉を警戒している」。例えば、八紘(はっこう)一宇、挙国一致、祖国を守る−。「言葉が旗になり、旗を振る人に誰もがついていく構図は恐ろしい」
 ロシアのウクライナ侵攻など世界情勢をふまえ、自身が生きた戦後を「希有(けう)で、夢のような時代だった」と振り返る。時代は移ろう。ただ危機を招く変化なら声を上げずにいられない。「短歌は言葉で時代と対峙(たいじ)する力がある。自分にうそをつかず、言いたいことを詠(うた)っていく。河野がいないのは悔しいし、寄る辺ないけれど」 (谷口大河)

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