ウクライナ国旗をモチーフに小物作って販売、売り上げを軍に寄付 「これが私たちの戦争に勝つ方法」

2022年6月7日 19時35分
<ウクライナからの声>

夫アレクセイさん㊥、娘エバちゃん㊧と一緒に笑顔を見せるダシャさん(ダシャさん提供)

 ロシアのウクライナ侵攻開始から3カ月が過ぎ、季節は春から夏に向かいつつある。東部ポルタバでは6月に入り、気温が30度を超える日も出てきた。約120キロ離れたハリコフから家族で避難中のダシャ・ボロシンさん(32)が3日、本紙のオンライン取材に応じ、ポルタバでの生活を語った。最近は女性グループでウクライナ国旗をあしらった小物を作り、売り上げを軍に寄付しているという。(聞き手・蜘手美鶴)

 ダシャさん一家は侵攻開始時、ロシア国境から約30キロの東部ハリコフで暮らしていた。爆撃の音は遠くで聞こえたものの、最初の30日間は近所への攻撃はなかった。ただ、夜になると爆撃音は激しさを増し、眠れるのは1日4時間程度だったという。そして31日目、ついに家のすぐ近くに爆弾が着弾。荷物を車に放り込み、夫(32)の友人がいるポルタバへ向かった。

 「ポルタバにはハリコフからだけじゃなく、キーウ(キエフ)からもたくさんの人が逃げて来ている。地元の人は避難民にとても親切にしてくれる。少しシャイで、とても優しい人たちばかり。戦争の気配を感じるのは毎日の空襲アラームが鳴るときぐらいで、それ以外は自然が豊かで平和な街。最近はだんだん暑くなってきて、時々激しい雷が鳴って、稲妻で空が明るくなるときもある。そんなときは、まるで原始時代にいるみたいな感覚になるの」
 「ハリコフへの砲撃は一時期は収まったけど、また始まってしまった。戻るに戻れない状態。いつかは分からないけど、戻れる日を信じて待っている。今私の心にあるのは、ロシアへの怒りや恐怖だけじゃなく、街の再建を願う気持ちや、ロシア軍の戦車や砲撃で消されそうになっているウクライナ文化を救いたいという気持ちが強い」
 「私はロシア語を話す人が多い地域で暮らしていて、私や家族も主に使うのはロシア語だった。『スルジク』というウクライナ語とロシア語が混ざった言葉も使っていた。でも、今は完全にウクライナ語に切り替えたの。理由は、分かるでしょ?。娘のエバ(4つ)にもウクライナ語を教え始めたところ。ウクライナの文化や風習、信条なども一緒に教えている」

 ダシャさんなりの「ウクライナを守る」方法は言葉をウクライナ語に切り替え、文化などもきちんと娘に伝えていくことだという。そして最近、女性グループで始めたことがある。

 「女性40人ぐらいで、ウクライナの国旗をモチーフにした小物を作っているの。キーホルダーや冷蔵庫のマグネット、洋服や装飾品などを手作りして、1個3.5ドル(約460円)で、インターネット上や各地のフェアで売っている。売り上げは全て軍に寄付している。これも私たちなりの『戦争に勝つ』方法なの。私は空き時間を使って1日3,4個作っていて、この前は娘と一緒にキーホルダーを作ったところ」

ウクライナ国旗をモチーフにしたハート形のキーホルダー(ダシャさん提供)

ウクライナ国旗の刺しゅうをあしらった洋服(ダシャさん提供)

 実は大学で日本語を学んでいたダシャさん。『モウ、ゼンゼンワカリマセン』とは言うものの、日本への思いは特別だ。

 「私の親友が日本に避難することになった。日本はウクライナを支援してくれ、本当に感謝している。次の桜の季節には平和が戻り、私も日本を訪れたい。東北にある有名な温泉に行くのが夢なの。戦争が終わったら、日本人もウクライナに来てほしい」

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