<書評>『千代田区一番一号のラビリンス』森達也 著

2022年6月12日 07時00分

◆表現のタブーに切り込む
[評]岡崎武志(書評家)

 プロローグ。テレビを見ながら会話する、いかにも幸福そうな夫婦の情景が描かれる。ほのぼのとしていると、妻の名は「美智子」、夫は「明仁」と知らされ愕然(がくぜん)となる。書名の「千代田区一番一号」でそのことははっきりする。つまり、これは譲位前の天皇と皇后の物語なのだ。
 二人の話に並行して描かれるのが文筆業を兼ねるドキュメンタリスト。名前は森克也で、過去にオウムを撮って物議をかもした、とあるから著者が重なる。フジテレビのドキュメンタリー番組制作の声がかかり、森が提出した企画が「憲法一条」。これは表向きで、彼の存念は天皇と皇后を被写体に、二人の日常を撮るというものだった。バックアップを買って出た編集プロダクションを経営するレーニン(椎野礼仁)は言う。「この国の表現においてのブレイクスルーになるかもしれない」。と同時に皇室のタブーに切り込み、難攻不落の砦(とりで)を落とす大冒険譚(たん)となるはずだった。
 ところがリスクは目に見えている。中身が明らかになるにつれ、テレビ側はやんわりと中止を申し出る。それでも彼の熱情は止まらない。「天皇に会いたい。会って言葉を聞きたい」という、いわばドキュメンタリスト魂が、意外な方向からロラン・バルトも着目した「千代田区千代田一番一号」内部へ急接近させていくのだ。
 驚くべきはホームドラマのような天皇夫妻の日常だ。明仁はお忍びで日比谷に現れ、コンビニで買い物をする。閉ざされていた吹上御所地下への探索など「不思議の国のアリス」みたい。御所の庭に現れる「ポン吉」、日本の穢(けが)れと負の体現である謎の物体「カタシロ」の暗躍など、不思議なやさしさで著者は、体を張った「天皇制」研究を包み込む。山本太郎議員や、さかなクンも実名で登場します。
 こんなことが本当に書かれていいものか、という怖(おそ)れと好奇心が先へ先へとページをめくらせる。「問題作」というしかない。一番読んでもらいたいのは、もちろん当代の上皇さまと上皇后さまである。
(現代書館・2420円)
1956年生まれ。映画監督、作家。著書『放送禁止歌』『「A」』など。

◆もう1冊 

森達也著『FAKEな日本』(角川文庫)

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