<土曜訪問>師匠の喜ぶ姿を糧に 囲碁の二十四世本因坊 石田芳夫さん(棋士)

2022年6月18日 11時39分
 正確無比な形勢判断と計算力で、コンピューターの異名を取る囲碁の二十四世本因坊、石田芳夫九段(73)が来年、棋士生活六十年を迎える。史上最年少の二十二歳十カ月で獲得した本因坊位は、師匠の木谷実九段にとって、ひときわ思い入れのあるタイトルだった。今春の叙勲で旭日小綬章を受章したのを機に、積年の思いを聞いた。
 「師匠が『良かったね』とぽつりと言った。自身、三度挑戦して獲(と)れなかっただけに、喜びもひとしおだったのでしょう」。本因坊を初獲得した当時をこう振り返った。
 井山裕太本因坊(四冠)が十二日、前人未到の十一連覇を達成した本因坊戦七番勝負。斯界(しかい)の七大タイトルで唯一、戦前から続く棋戦だ。二十一世本因坊秀哉(しゅうさい)名人(一八七四〜一九四〇年)が「本因坊」の名跡を日本棋院に譲渡したのを機に世襲制から実力制に移行。三八年、その秀哉名人の引退碁で対局したのが木谷九段(当時七段)だが、タイトルには届かなかった。
 そんな本因坊位に七一年六月、初挑戦し、三連覇中だった林海峰(現・名誉天元)から奪った。雌雄を決した第六局では秒読みに追われながら半目勝ちを読み切った。コンピューターの面目躍如である。
 同年の挑戦者決定リーグで同門の加藤正夫(故人、名誉王座)と対局した際、師匠が盤側で見守ったことが思い出深いという。「難関のリーグに弟子が二人も入ったんです。写真を見ると、本当にうれしそうな表情を浮かべていました」
 七四年、坂田栄男二十三世本因坊(故人)、林名誉天元に次ぐ実力制史上三人目の名人・本因坊に。翌七五年七月には本因坊五連覇で永世本因坊の資格も得て、病身の師匠を喜ばせた。
 同年十一月、兄弟子の大竹英雄(現・名誉碁聖)に名人位を奪われる。秀哉名人引退碁の観戦記を元にした川端康成の小説「名人」で、木谷九段は「大竹七段」として描かれている。「師匠が最も大きな期待を寄せていたのが大竹さんでした。名前に運命的なものを感じていたのでしょう。大竹名人の誕生を見届けて一カ月後に亡くなりました。負けて言うのも変ですが、いい恩返しができた、と思っているんですよ」
 愛知県新川町(現・清須市)の生まれ。小学二年の八月に囲碁を覚え、わずか十カ月後の五七年六月、木谷九段のお供で名古屋を訪れた大竹初段(当時)に六子で指導碁を受ける。驚異的な上達の速さだ。大逆転負けに号泣したが、神奈川・平塚の木谷道場への入門が許された。「白の不利な一手寄せコウになり、相手に相当なダメージを与えたのですが…」と六十五年も前の対局の一部始終を、つい先日のことのように詳細に語り始める。底知れない記憶力というほかはない。
 師匠には「日吉丸」のニックネームを付けられた。天下統一を果たした地元の三英傑、豊臣秀吉の幼名。しかし、最も心ひかれたのは徳川家康という。「道場の内弟子生活で、囲碁にも通じる忍耐することを学んだためかもしれません。山岡荘八さんの長編小説を夢中になって読みました」
 本因坊五連覇がかかった七番勝負第五局。かど番で迎えた一局も敗色濃厚だったが、粘り強く、じっと耐えて相手の失着を誘い、逆転勝ち。「二十四世本因坊秀芳(しゅうほう)」の誕生につなげた。
 自身、コンピューターと呼ばれることに「局面を冷静に分析し、感情的に打たないところが人間的ではない、といった意味合いもあるのでは…。うまいネーミングだと思いましたよ。気に入っています」。
 しかし、若手を中心に人工知能(AI)の活用に躍起となっている昨今の風潮には「同じような絵ばかりが(盤上に)現れ、見ていて面白くない。後世に立派な棋譜を残すことも棋士の役割。石の流れに物語や味わいがあった古碁をもっと勉強して碁の幅を広げ、独自性や独創性も発揮してほしい」と苦言を呈する。
 対局相手の若手がAI研究の手を打ってきても、驚くことはないという。「約六十年もプロをやってるわけですから。ぽっと出のAIに負けてたまるか、との思いで戦っています」
 これまでに積み上げた白星は千百四十六。「喜寿までに千二百勝を挙げることが目標です」と力強く語った。 (安田信博)

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