和も洋も時代とともに 芝地区の老舗 魅力発信 江戸~大正創業の28店が「百年会」

2022年6月20日 07時05分

増上寺で公開講座の参加者を案内する芝の「おかめ鮨」5代目の長谷文彦さん(手前左)=いずれも港区で

 真新しい高層ビルが次々と建設され、店や企業の入れ替わりが激しい東京都港区。その一方で、創業から百年以上続く老舗も点在している。新橋や芝大門、三田などの芝地区では、そんな老舗の店主や女将(おかみ)らが集まり、地域の歴史や老舗の文化の発信に取り組んでいる。
 「このあたりは江戸時代の古い地図と比べても、道が全然変わっていない。小さな路地もそのまま残っています」
 港区芝公園の増上寺に向かう目抜き通りにあり、江戸時代の一七九一年創業のそば店「芝大門更科布屋」。今月九日、七代目店主の金子栄一さん(66)が集まった約四十人を前に、周辺の昔の様子や店の歴史を説明していた。

店に飾る浮世絵について話す「芝大門更科布屋」店主の金子栄一さん

 金子さんは、芝地区の創業百年以上の老舗による「芝百年会」の会長。この日は、地元の増上寺や芝大神宮、老舗を案内する公開講座を開いていた。

店のガス灯を案内する金子さん(左手前)

 芝百年会は二〇一六年に発足。区発行の芝地区の地域情報誌で、老舗の紹介が連載されたことがきっかけだった。江戸時代から大正初期までに創業した二十八カ所が加盟している。
 店主らが年三回ほど公開講座を開き、交流サイト(SNS)でも情報を発信。地元の短大などで講師を務めることもある。今年二月には、地域や店の歴史をまとめた「芝百年 暖簾(のれん)の物語」を出版した。
 会によると、業種は和菓子、すし、そば、呉服店など江戸の老舗だけではない。洋風の品を扱う店も多く、芝地区の歴史を反映している。
 芝地区は江戸時代、東海道が通り、徳川家菩提寺(ぼだいじ)の増上寺もあり、江戸でも有数のにぎわう場だったという。大名屋敷が多く、人気商品「切腹最中(もなか)」で知られる新橋の和菓子店「新正(しんしょう)堂」は移転する前は、忠臣蔵の浅野内匠頭(たくみのかみ)が切腹した田村家の屋敷跡にあった。
 明治初期には文明開化で牛乳や牛肉が普及。東新橋のすき焼き店「今朝」や、当時新橋で牧場を営んでいた乳製品製造の「中沢乳業」などが創業した。
 霞ケ関などに近いため、渡航する要人向けに、海外旅行用品販売の「三洋堂」は新橋に店を構えた。明治初期に官公庁などで洋家具が使われると、洋家具職人が集結。今も新橋には、明治時代創業の洋家具製造の会社が残っている。

渡航用品販売の「三洋堂」(新橋)が制作した1964年東京五輪の聖火の運搬ケース =三洋堂提供

 港区愛宕の愛宕山には明治時代、外国人向けホテルがあった。その頃に創業した酒店「あたご小西」の小西悦郎会長(77)は「当時、外国人向けに洋酒を売り始めたのがワインショップになったきっかけ」と話す。

「あたご小西」の小西悦郎さん(右)と恭子さん。昔は日本酒の貸し出し容器「通い徳利」が使われていた

 百年の間には、関東大震災と戦時中の空襲で二回焼けた店もある。現在も都心の一等地のため、維持は楽ではないという。「地上げブームの時、店の売り上げだけで固定資産税が払えず、ビルを建てたが失敗して出ていった店は多い」と芝大門の和菓子店「芝神明榮太樓(えいたろう)」店主、内田吉彦さん(61)は振り返る。
 老舗の継承について「地域への愛着と家業への執着が原動力」と金子会長。「百年たっていることではなく、震災や戦災、景気の波などを乗り越えた生き方を知ってほしい」と熱っぽく語った。
文・宮本隆康/写真・佐藤哲紀
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