<考える広場>認知症のいま

2022年6月21日 07時57分
 高齢化が進む日本社会で、避けて通れないのが認知症対策。二〇二五年には、高齢者の五人に一人が認知症になるという予測もある。本人や家族、地域社会は、この病とどう向き合えばいいのだろう。

<国内の認知症> 厚生労働省は、国内における65歳以上の認知症の人は約600万人(2020年現在)と推計している。さらに、25年には、高齢者の5人に1人の約700万人が認知症になるとの予測もある。脳血管障害やアルツハイマー型認知症などで65歳未満で発症した若年性認知症者数は、約3万5700人(同)と推計されている。

◆遊び、笑い 探しながら 作家・エッセイスト 阿川佐和子さん

撮影・枦木功

 銀行から下ろしてきたお金を、どこにしまったか分からない。そんなことが何度かあり、母に認知症が始まったとうすうす感じていましたが、はっきりと自覚したのは二〇一一年秋。東日本大震災の話をしたら、何も覚えていなかったんです。周りに親の介護経験者がいたんですが、「アガワは今、張り切っているけど、二、三年でなんとかなると思ってない? 一人でできると思っちゃダメ。長丁場なんだから」と言われて。がくぜんとしたのを覚えています。
 私が子どものころに住み込みのお手伝いをしてくれていた、お姉さんみたいな女性が助けてくれたのが、本当に救いでした。その方と私、兄弟と交代で、一人暮らしの母(父は高齢者病院に入院していたので)の家に泊まり込んでケアしていきました。一人で抱え込まず、多くの人に「助けて」サインを出すのが大事ですね。母は二〇年の年明けまで家で過ごし、同年五月に亡くなりました。
 認知症になった初期段階は、まだ半分まとも。それなのに、家族が「全部壊れてしまった」と決めつけて接すると、本人を大きく傷つけることになる。ケアする側がどれほど本人のプライドを傷つけないように接することができるか。「この話、四回目だな」と思っても、初めて聞いたように対応するとか。母のはんこを預かったら、「なんで勝手に持っていくの!」と激しく怒ったことがあり、自分が管理するものだというプライドがあったんだろうなと反省しました。自分で生活しようという意欲と力があるうちは、少々、危なくても本人にやらせることが大事なんですよね。
 同じことを繰り返し聞いてくる時は、なるべく答え方を変えて、自分も会話を遊ぶようにしました。とはいえ、抑えようとしてもイライラする時はある。でもね、けんかしても、ケロッと忘れてくれるから、そこは楽です。あんなに怒鳴らなければ良かったと、こちらがウジウジしたりしてね。けんかする時は、「笑いを探す」ですよ。
 「この人のために私は身を粉にしている!」という気持ちが強くなるとイライラするから、後ろめたいことを何かつくる。ゴルフに行くとか、親のお金でちょこっと買い物しちゃうとか。小さなズルをすると、その後、優しくなれます(笑)。ご褒美をつくっておくと良いですよ。 (聞き手・飯田樹与)

<あがわ・さわこ> 1953年、東京都生まれ。著書は大ベストセラーとなった『聞く力』の他、介護がテーマの『ことことこーこ』や『看る力』など。一般社団法人「日本ユマニチュード学会」理事。

◆危険因子改善に注目 国立長寿医療研究センター・研究所長 桜井孝さん

 認知症とは、脳の病気やけがなどによって認知機能が衰え、その結果、自立した生活ができなくなることをいいます。認知機能が低下していても、生活自立ができていれば認知症とはいいません。脳に病変があるのに認知症症状が出ない場合もあり、理由は不明です。
 ただ、病変に抵抗する力である「認知予備能」が高い人の指標も明らかになってきました。例えば、趣味があり友人、家族と交流している活動的な人や、脳血管障害などがなく脳が元気である人などです。
 治療では創薬が研究の最前線。中でも認知症で一番多いアルツハイマー型向けの薬です。現在、保険診療で認められているのは症状改善薬ですが、病態を改善する治療薬の開発が急がれています。
 期待されているのが日本のエーザイと米バイオジェンが開発したアデュカヌマブ。軽度認知障害(MCI)の人を対象に、アルツハイマー型の原因物質アミロイドβ(ベータ)を除去し、認知能力を改善するという治験結果を得た初めての薬です。しかし、別の治験が不調に終わったため、米食品医薬品局(FDA)は昨年六月、条件付きで承認しました。今は治験参加者にのみ使用を認め、一般使用は留保されています。日本では継続審査になりました。
 私は新しい薬は必ずできると信じていますが、それにはまだ少し時間がかかるでしょう。そこで注目されるのが薬を使わない方法です。認知症にはさまざまな危険因子があり、それを改善すれば患者を40%減らすことが可能だと分かってきました。今、世界中で実践的研究が行われており、日本でもJ−MINTというプロジェクトが進んでいます。
 改善のための介入法としては、四十五歳未満までは教育。勉強をして頭を使うことが大事です。中年期は聴力障害、高血圧、肥満などの防止。高齢期は喫煙、うつ、社会的孤立、運動不足などの防止・管理です。
 日本は今や認知症の人の生活を支える多くの支援ができるようになりました。現在、使用できる薬は全部保険で使えますし、社会保険サービスも充実してきました。認知症は悲惨な病気という偏見を捨て、長寿だから病気もいくつか出てくるぐらいのおおらかさでこの病気に向き合ってほしいですね。 (聞き手・大森雅弥)

<さくらい・たかし> 1960年、大阪府生まれ。認知症専門医。名古屋大連携教授。神戸大卒。国立長寿医療研究センター(愛知県大府市)・もの忘れセンター長を経て、今年から現職。

◆葛藤や心の声、大切に 熊本大准教授・石原明子さん

 私の専門は紛争解決学で、認知症も研究対象に入ります。紛争と聞くと、国際紛争を連想する人が多いかもしれませんが、元になる英語は、葛藤とも訳せます。葛藤は、社会のあらゆるレベルで生じます。
 認知症で主に問題となるのは葛藤です。認知症には、記憶障害などの中核症状と、妄想や暴言などの周辺症状があります。介護者にとって負担になりがちなのは周辺症状ですが、それ自体は病気ではなく、葛藤現象です。だから葛藤を解消できれば、課題は半分ぐらい解決できるのではないかと思っています。
 葛藤は、そこに大事な思いや願いがあることを示すサインです。例えば、認知症になった母親が何でも触ってしまう。以前は厳格な人だったのに、見ていて耐えられない。そう感じるのなら、あなたは、きちんとしたお母さんのことが好きだったのかもしれません。
 変わってしまった母親の姿に対して感じる葛藤は、老いること、認知症になること、さらには、その先にある死への恐怖にもつながっています。他者と向き合うことは、自分を知ることでもあります。
 認知症になった本人にも葛藤はあります。言っていることには整合性がなくても、私たちは言葉の裏にある本音を読み解こうとします。その人はどんな時代に、どのような過去を生きてきたのか。そういった背景を考えることも大切です。
 老いによる認知症や終末期は、ある意味で赤ちゃんと近いのかもしれません。人は天から来て天に戻ります。赤ちゃんは自由な存在として祝福の中で生まれ、社会規範を身に付けていきます。老いは、規範から解放されて自由になるプロセスです。それを祝福できるような豊かな社会をつくれたらいいなと思います。
 物事が変化するとき、葛藤が生じます。認知症をめぐる葛藤や、その奥にある声に耳を傾けることによって、この社会がこれから、どう変化していくべきかを知ることができるのではないでしょうか。
 二十世紀は若者の時代で、老いや死から目を背けてきました。でも、超高齢社会となった二十一世紀の日本では、老いや死を友達にしていく必要があります。それができれば、世界のトップランナーとしてモデルにもなれると思います。 (聞き手・越智俊至)

<いしはら・あきこ> 1973年、東京都生まれ。専門は紛争変容(解決)・平和構築、医療政策。著書に『現代社会と紛争解決学』『生と死をめぐるディスクール』(いずれも共著)など。


関連キーワード


おすすめ情報