きょう「沖縄慰霊の日」 散った命、残ったペン 慶応大校章入り 「玉砕」壕で発見

2022年6月23日 07時12分

(下)慶応大の校章のペンマーク。 万年筆(Fountain Pen)の「FO」と思われる文字も

 太平洋戦争末期の一九四五年、激しい地上戦が繰り広げられ、二十万人以上の人が命を落とした沖縄戦。二十三日は日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる「沖縄慰霊の日」だ。南部の糸満市で今年に入り、慶応大学の校章であるペンマークが記された万年筆が発見された。同大学では「過去の悲劇を知ってほしい」と、きょうから慶応義塾史展示館(港区、三田キャンパス内)で一般公開される。
 万年筆は、沖縄戦の戦跡で遺骨収集作業に取り組んでいる南埜(みなみの)安男さん(57)=那覇市=が発見した。現場は糸満市の真壁地区で、南側には「ひめゆりの塔」や、軍民問わず沖縄戦戦没者全ての氏名を刻んだ石碑「平和の礎(いしじ)」が置かれた平和祈念公園が立地する。
 沖縄本島最南部の糸満市は、米軍に追い詰められた日本軍が最後の抵抗を行った。発見場所はかつて「八十二高地」と呼ばれ、陸軍野砲兵第四十二連隊と海軍の混成部隊が陣地壕(ごう)を構えていたが、沖縄戦末期の四五年六月に大半の兵士が「玉砕」している。
 壕跡には大きな岩があり、七十七年の年月を経て大量の土が堆積していた。南埜さんが岩を動かしながら掘り進めると、岩の下に万年筆があったという。
 ペンのマークをネットで確認したところ、慶応大の校章と一致。そこで、交流があった一橋大の学徒出陣を継承する市民団体の関係者を通じ、引き渡した。
 万年筆の本体は、かろうじて慶応大のシンボルである二本のペンが記されているのが分かる。また、大学名のローマ字の一部と思われる「KE」や、万年筆を意味する英語「Fountain Pen」も読み取れた。埋まって野ざらしになっていなかったためか、ペン先は完全にはさびていなかった。

万年筆が見つかった日本軍の陣地壕跡 =沖縄県糸満市で(南埜安男さん提供)

 慶応大出身の戦没者について調査をしている福沢研究センターの都倉武之准教授によると、大学の戦没者名簿で確認できる沖縄戦で亡くなった現役学生や卒業生は百三十一人。このうち、戦没地が発見場所の真壁地区と特定されているのは二人いた。
 都倉准教授は「当時の大学生にとり、万年筆は学生生活のシンボルだった。校章入りのものは、現在の生協に当たる学内の『消費組合』で販売されていた」と話す。万年筆に名前は記されておらず、持ち主の特定は困難だが「特定の場所から発見されたので、今後判明する可能性もある」と期待を寄せる。
 南埜さんは「持ち主が分かれば、ご遺族にお返ししてお墓に入れたり、仏壇に供えたりしてほしいが、そうでなければ大学で恒久的に保存してほしい」と話す。そして「遺品が母校に戻ることができたのはうれしいし、持ち主が生きた証しを伝え続けることができる」と続けた。

万年筆が公開される三田キャンパス内の慶応義塾史展示館=港区で

 慶応大では、学徒出陣経験者の卒業生を招いて学生に体験を語ってもらう企画を続けてきたが、年月の経過で大半の人が亡くなり、肉声を直接聞くことは難しくなった。戦争体験をどのように継承していくかが今後の課題だ。都倉准教授は「かつての戦地で見つかったことは、ペンを剣に持ち替えた時代を象徴している。これを見た学生が、戦争のリアリティーを考えるきっかけになるといい」と話した。
 慶応義塾史展示館での展示は八月末までで、入館は無料。新型コロナウイルス対策のため公式サイトでの事前予約を推奨している。開館時間は午前十時〜午後六時。日曜、祝日休館。問い合わせは=電03(5427)1200=へ。
文・小松田健一  写真・坂本亜由理
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