沖縄戦体験者 ウクライナ侵略に戦禍の記憶たどる「戦(いくさ)で平和取り戻せない」77年目の慰霊の日

2022年6月23日 21時00分

沖縄戦を経験した瀬名波栄喜さん(理事長を務める那覇市のこくら保育園提供)

 沖縄県民の4人に1人が犠牲になった沖縄戦は23日、組織的な戦闘の終結から77年がたった。この間、世界各地で戦争が絶えず、今はロシアのウクライナ侵攻で多くの命が失われている。7月10日投開票の参院選では敵基地攻撃能力保有など日本の防衛力強化が争点に浮上しているが、那覇市の瀬名波せなは栄喜えいきさん(93)は戦禍の記憶をたどり、「戦で平和を取り戻すことはできない。戦争は本当にばかげている」と語る。(山口哲人)

◆戦車壕構築に動員…米軍の進軍食い止めには無力

 軍人の父に会ったのは、1945年4月の米軍上陸前が最後だった。1歳だった弟も失った。路上に転がる無数の亡きがらは今も目に焼き付いている。
 瀬名波さんは沖縄戦を生き延び、16歳で終戦を迎えた。その前年、現在の嘉手納かでな町にあった県立農林学校に入学。後に米軍が上陸する読谷よみたん村などで、高射砲の砲台整備や戦車を落とす深さ5メートルほどの「戦車ごう」構築などに動員された。でも、進軍を食い止めるのには無力だった。

◆身を潜めた山中に迫る焼き打ちの炎

 米軍の艦砲射撃や空襲が激しさを増す中、瀬名波さんは旧久志村(名護市東部)の実家から家族らと近くの山中に身を潜めた。そこにも容赦ない攻撃は続く。家族らは全員投降した。軍国少年だったという瀬名波さんだけは「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すなかれ」との戦陣訓の刷り込みで、山にとどまった。
 独りで何日間耐えただろうか、焼き打ちの炎が迫り、山を下りた。待ち構えた20〜30人の米兵が銃をこちらに向けていた。なぜかは分からない。とっさに両手を上げて降伏した。
 終戦から長い年月が流れたが、避難するウクライナの人たちの映像を見るたび、沖縄戦の記憶がよみがえる。

◆国の防衛力強化方針に異議「軍隊は住民を守らない」

 ロシアが核の威嚇も交えた力による一方的な現状変更に及び、日本国内でも防衛力強化の必要性が声高に叫ばれるようになった。自民党の首相経験者らは台湾有事の可能性にも言及。最短100キロ余りの距離にある沖縄県が、米軍の出撃拠点として、また、自衛隊の南西諸島防衛の最前線として、再び戦火に巻き込まれるとの懸念は広がっている。
 一部の世論調査では、敵基地攻撃能力の保有や防衛費の大幅増額への賛成が反対を上回り、いくつかの野党も防衛力強化を参院選公約に掲げる。だが、瀬名波さんは若き日の苛烈な経験を踏まえ、こう諭す。
 「そんなことはやらない方がよい。軍隊は住民を守らない」

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