<書評>『汀(みぎわ)日記 若手はなしかの思索ノート』林家彦三(ひこざ) 著

2022年6月26日 07時00分

◆窮屈な日々の繊細雑記
[評]サンキュータツオ(日本語学者・漫才師)

 <楽屋に入りたての頃、師匠方が楽屋で、おもむろに各々(おのおの)のネタ帳を出して、こまごまと書かれた演題の数々を楽屋の帳面と見比べながら、そのちいさな私家版ネタ帳の頁を繰りながらなにやら思案している様子を見て、はなしかになって良かったと思ったことが何度もあった。そのくらいその風景は色気があって、知的であって、自分にとっては憧れの風景の一つであった。>(「薄緑色の引き換え券」)
 二〇二〇年の五月、二つ目に昇進した落語家の彦三さん。落語家にとって、前座から二つ目の昇進は真打の昇進よりも嬉(うれ)しいものと聞く。ようやく一人前の落語家としての自意識を持っても良いと認められる。しかし、彦三さんは前座修行という窮屈な場所から出たら、コロナ禍というもっと窮屈な空間が広がっていた。表現者として表舞台に出る資格を得たというのに、落語をやる場所がない。そこで腐らずに書き始めたのがこの『汀日記』だ。
 有史以来もっとも落語家の数が多い現在にあって、彦三さんはもっとも文芸性が高いと評価される林家正雀に入門。冒頭で紹介した文章でもわかる通り繊細で温かみのある感性の持ち主で、古典以外にも過去の文芸作品を落語に仕立てる「文芸噺(ばなし)」にも挑む。いわば多様化する落語の世界から生まれた、時代の必然のような存在だ。
 久しぶりに入った飲食店に忘れてしまったボロボロのノートだけを受け取りにいく「初台(はつだい)へ」、万年筆をもらったことから万年筆にちなむ記憶が広がっていく「万年筆」など、コロナ禍のミクロな身辺雑記だけでも、読ませる。あの息苦しい時間をともに過ごした読者を、想像の世界へ誘う。すべてに整理がついた後で書いてもこの味は出ない。手法は違えど、落語と文芸の「汀」に立って、人に想像する楽しさを感じさせる。彦三さんのあの愛らしい声で聞けないのは残念だが、一方で文章だからこそすくいとれたみずみずしさがある。表記や文体、構成や素材選びまで、著者のこころが染み渡った一冊だ。
(書肆侃侃(しょしかんかん)房・1650円)
1990年生まれ。落語家。2015年、林家正雀(しょうじゃく)に入門。現在二つ目。

◆もう1冊

齋藤圭介・林家彦三著『猫橋II』(ぶなのもり)。作家と落語家の2人による書評や活動報告、随筆などを収録。

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