<社説>週のはじめに考える 「参院議員」を選びたい

2022年6月26日 07時56分
 例えば、ただ「少々、気にかかる」と言えばいいのに、わざわざ「サルの小便で、少々、木(気)にかかる」とか、「思い思いに」と言う時、「石屋の引っ越しで、重い(思い)重い(思い)に」と言ったりする。この手の言葉遊びは古くからたくさんありますが、中には、こんなパターンも。
 「雨の降る日は天気が悪い」
 しゃれでも何でもなく、ただ当たり前のことをもっともらしく言うというナンセンス。「犬が西向きゃ、尾は東」も同じですね。もしかすると本稿の大見出しも、その類いだと思われたかもしれません。参院選なのだから参院議員を選ぶに決まっている、と。
 そのこころを説明する前に、そもそも参議院とは何なのかということを考えてみたいと思います。

◆一ではなく二の意味

 ご案内の通り、わが国は国会に二院制をとっており、一方が衆議院で他方が参議院です。例えば、地方議会は一院制ですから、「一ではなく二」というところに意味があるはずです。
 話が脱線するようですが、高等な生き物の多くはオスとメスという二つの性の生殖、「有性生殖」で種を存続させています。一方、単独で自分のクローンを作り出して子孫を残す「無性生殖」をする生き物もいる。単独の方がシンプルで効率的なようですが、いかんせん遺伝的に同じ個体ばかりになるので多様性がなく環境の変化に対応しきれない。対して、二つの性による生殖は遺伝子が交ざることで多様な個体が生まれます。ですから、この場合の「一ではなく二」は不断の環境変化を生き抜く戦略ということのようです。
 では、国会の「一ではなく二」の理由とは何でしょう。
 二〇〇〇年に、有識者で構成する参院議長の私的諮問機関がまとめた「参議院の将来像に関する意見書」では、参院の存在意義をこう指摘しています。
 「衆議院で集約されない別の角度からの多様な国民の意思を反映させること」
 無論、一つの方がシンプルで話は早い。衆院が可決したら、はい完了、というわけです。しかし、
それでは議論は直線的、単純になって十分に深まるか心許(もと)ない。もう一つ=参院があるのは、まさに「別の角度」が必要だからです。

◆衆院と同じなら不要

 言い換えれば、二つが異なることが重要です。実際、選挙や権限など制度的にも異なります。
 議員の任期は四年で首相による解散もある衆院に対し、参院に解散はなく任期も六年と長い(定数の半分ずつ改選)。両院で異なる首相の指名が議決され、合意がはかれない時には、衆院の指名通りになります。例えば、法案も衆院で可決後、参院で否決されても、衆院で再可決(三分の二以上の賛成)されれば成立します。こうした「衆院の優越」は、両院が異なる結論に至ることもあるとの想定に基づいています。
 参院にはいくつか“異名”があります。よく知られるのが「良識の府」。先に引いた「意見書」は衆院の「数の論理」に対して、参院は「理」を貫くべし、と。
 要するに、本来、参院に求められているのは、衆院とは違い、個々の議員が政党にがんじがらめにされず、「理」や「良識」を基準に、より長期的な視野、大所高所に立った議論をするということなのでしょう。政権の直接の土台となる衆院との対比で言えば、政権をより冷徹に評価し、より厳しく監視する役割も当然、参院には求められます。
 しかし、実際はどうでしょう。多様な背景を持つ議員が「理」と「良識」を重んじて活動しているというよりは、衆院と同じく、政党の枠組みが幅を利かせ、「数の論理」に支配されている印象が強い。参院には「再考の府」という別名もありますが、衆院の決定の追認機関となりがちで、しばしば「カーボンコピー」呼ばわりされます。その時の両院の政党勢力図がどうであっても、参院は衆院とは違う存在でなければならないはずです。もし、いつも同じなら二つある意味がありません。

◆「本気」の人を見極める

 参院から衆院に鞍(くら)替えする議員がさほど珍しくないことも気になります。参院は衆院への踏み台だとでも考えているのでしょうか。繰り返しますが、参院は衆院と異なるからこそ存在意義があるし、参院には参院に求められる役割、参院議員には参院議員がなすべき仕事があるのです。
 とりあえず「国会議員」になりたい人ではなく、必要な改革を進めることも含め、参院が果たすべき仕事を本気で担いたい人、すなわち真の意味で「参院議員」になりたい人を選びたい−。これが、大見出しに込めた思いです。

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