東京五輪公式記録映画 河瀬直美総監督に聞く【ウェブ限定・インタビュー全容】

2022年6月30日 06時00分
 東京五輪開幕から間もなく1年。公開中の公式記録映画「東京2020オリンピック SIDE:A/SIDE:B」は、無観客で開催された異例の大会を、アスリートと大会関係者、それぞれの視点からとらえた2部作です。6月中旬、「B」の編集が終わって間もない河瀬直美総監督(53)にインタビューを行いました。紙面の都合で掲載したのは一部であり、紙面に収容しきれなかった思いなども含めて全容を紹介します。(藤原哲也)

インタビューに答える河瀬直美監督

◆内容について組織委からは「何も言われなかった」

 -組織委員会から公式記録映画の監督を依頼された時の心境は
 学生時代にバスケットボールをやっていたので、人生を賭けるほど必死なスポーツ選手の姿を見ていると自然と泣ける自分がいた。だから、いつかスポーツ映画を撮りたいとも思っていた。世界最高峰のスポーツの祭典を記録できるのは、「自分の映画人生がこのためにあったのでは」と、本当に思ったぐらいの感慨だった。
 -2019年7月から撮影を始めたが、何を考えて撮影を始めたのか
 ドキュメンタリーなので、何が起こるか分からないので決め込まない意識だった。開幕1年前イベントから撮影を始めたが、その時は全くイメージできずに起きたことをただ記録するだけだった。延期が決まり、アスリートに会えないため医療従事者や街の声を拾っていくうち、本編が莫大な長さになると思った時に2本立てをイメージはしていた。ただ、開催自体や映画もどうなるか分からない中で、個人的にはやってほしい気持ちはあったが、感情を持たないようにした。「やれなくても、それも記録だ」と。
 -完成させる前に組織委から内容についての要望やチェックはあったのか
 自分が好きに作ったものに対しては何も言われなかった。あったとしても、非常に細かい部分で映像の中に映っていたスポンサーの名前を消した程度。あと、「A」で登場する男子柔道のモンゴル代表・サイード・モラエイ選手(元イラン代表で政治的圧力を受けてモンゴルに亡命)について、国際オリンピック委員会(IOC)側から「アラブ圏での公開できないリスクがある」と言われたが、「1人の選手としての思いを時代の証しとして撮らないといけない」と思ったので、しっかり話し合って最終的には死守した。
 -「A」は国内の人気競技や著名なアスリートがあまり出てこない印象だ
 海外選手は連絡を取れば取材の機会は与えてくれたが、日本の対応はそうではなかった。そのため取材量が少なく、作品に昇華できない部分はあった。当時は「ステイホーム」の徹底や「隔離」といったものが一般的な国内世論で、誰が悪いわけではないけれど、ある種のルールを守るという日本人の真面目な気質がアスリートに影響を及ぼした部分はあったと思う。撮れなかったことも事実であり、無観客やカメラ位置も含めて一定の距離を保つことも事実なので、競技はいくら望遠で撮ってもあれが限界だった。その分実際に会わせてもらえた人たちの取材はしっかりとアップで撮らせてもらい、その言葉を余すところなく聞いて物語を構築していく形だった。

「東京2020オリンピック SIDE:A/SIDE:B」の一場面 ⓒ2022-International Olympic Committee- All Rights Reserved.

◆誰かを悪者に仕立てて描くことはしたくない

 -「B」の編集が終わったばかりだそうだが、先に公開した「A」よりも何が大変だったのか
 国内でいろいろ起こった出来事を構築する上で、私も日本人だし、誰かが悪いとか悪者に仕立てて面白おかしく描くというのは絶対にしたくなかった。時代の空気が見えるように、たくさんの素材の中からものすごく難しい数式を解くように選んでいく感じ。うまく言えないけど、それを導きだそうと集中しても、探していた宝物がなかなか見つからなかった。それでも自分の心をぶれないようにするのは大変だった。
 -「B」では辞任した組織委の森喜朗会長や、解散した開閉会式チームのメンバーの証言が痛々しくて印象的だ
 ドキュメンタリーは関係性が大事。それ以前に結んでいる信頼関係があって、その都度取材を受けてもらっているので、信頼関係でそこは成り立っている。タイミングを逃せば取材対象者が客観的になって、思っていることが整理されてしまうので、いち早く取材を依頼していた。皆さん、それぞれの立場でしっかりと自分の意見を言っていただいたと思っている。
 -編集作業がヤマ場を迎える中で、自分を見つめ直すために原点とも言える「もえ朱雀すざく」(1997年、カンヌ国際映画祭新人監督賞受賞作)を見直したそうだが、その意図は
 自分の原点に立ち返ったのと、カットの選び方や表現の仕方を改めて見直したかった。見たのは(製作報告会見を行った)3月。すごくせりふが少ない作品なので、登場人物たちが抱えていた感情をどのように表現していたのか、(観客に)伝わるように感じてもらう感覚をもう一度見つめ直した感じ。
 -作品を巡る周囲の反応と今後について
 もともと「作家性が強くて分かりづらい」と言われることが多かった。今回いろいろ言われることで寂しい気持ちはあるが、残念には思っていない。ドキュメンタリー映画ということで(興行的に)難しいとは理解しているが、時間がない中で「A」と「B」のこれだけ毛色の違う作品を作れたことは、冷静に考えて自分で自分を褒めてあげたいと思っている。私自身のターニングポイントになったのは確か。
 また、別のプロジェクトが始まりかけているし、とにかく映画は作り続けたい。海外からも依頼があるし、2025年大阪・関西万博のプロデューサーの仕事もある。それらも含めて自分の転換期というか、年齢的にもそうなってきていると思う。あと、今年9月には(自身が創設してエグゼクティブディレクターを務める)なら国際映画祭も12年目に入るので熱い気持ちでやっていきたい。

 かわせ・なおみ 1969年、奈良県生まれ。大阪写真専門学校(現ビジュアルアーツ専門学校)映画科卒業後に自主映画の製作を始める。97年に商業映画デビュー作「もえ朱雀すざく」で、カンヌ国際映画祭カメラドール(新人監督賞)を史上最年少で受賞。同映画祭では、2007年に「もがりの森」がグランプリ(審査員特別大賞)に輝き、13年にはコンペティション部門の審査員を務めた。「カンヌの申し子」と言われ、「SIDE:A」が今年の映画祭で公式上映もされた。監督作はほかに「あん」(15年)、「光」(17年)、「朝が来る」(20年)など。


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