中曽根元首相、死去 国鉄改革、労組を標的 生前取材に狙い明かす

2019年11月30日 16時00分

1986年10月、国鉄の分割・民営化に絶対反対を叫び、会場前で気勢をあげる組合員たち=静岡県修善寺町の修善寺町総合会館で

 「戦後政治の総決算」を掲げて国鉄の分割・民営化に取り組み、二十九日に死去した中曽根康弘元首相は二〇一六年、ジャーナリスト牧久(まきひさし)氏のインタビューに「戦後の労働組合の運動に歯止めをかけるのが目的だった」と話していた。国鉄改革を長年取材してきた牧氏は、近代国家への道筋をつけた一方、労組の弱体化を招いた側面もあったと振り返る。
 一九七〇年代以降、国鉄では労組の運動が激化し、首都圏の鉄道で大規模なストが頻発するなど混乱が生じた。牧氏は中曽根氏の発言の背景について「日米安保への反対運動など過去にあったような大規模な市民運動につながりかねないと懸念したのではないか」と推し量る。
 政府の重要施策の一つ「働き方改革」の議論にも労組弱体化の影響があると指摘し、「本来は政権ではなく労組側から働き掛けるべきものではないのか。労組の在り方が問われている」と話す。
 国鉄は一九八七年に分割・民営化され、JR旅客六社と貨物一社に分かれた。JR各社で社長を務めた松田昌士、葛西敬之、井手正敬各氏が「改革三人組」と呼ばれ、けん引役となった。
 中曽根氏が亡くなった二十九日、牧氏はJR西日本元相談役の井手氏らと会食した。牧氏によると、井手氏は「中曽根さんがいなければ国鉄改革は達成できなかった」と語ったという。牧氏も同じ思いを抱きつつ「社会の混乱を抑える手段だったのかもしれないが、その手法がよかったのかどうかはまだ結論が出ていない」と述懐した。

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