終戦直後に「伝染力微弱」国認識 ハンセン病、文書公開へ

2019年11月27日 16時00分

厚生省(当時)の幹部がハンセン病の「伝染力は微弱」と発言したと記録された文書

 群馬県草津町の国立ハンセン病療養所「栗生楽泉園(くりうらくせんえん)」で、一九四七年まで使われた全国唯一の懲罰施設「重監房」の撤廃を求めた患者側との交渉の際、厚生省(当時)の幹部がハンセン病の「伝染力は微弱」と発言したと記録する文書が見つかった。専門家は「ハンセン病の感染力が弱いことを、国が終戦直後に認識していたと分かる貴重な資料だ」としている。
 文書は園に隣接する重監房資料館で、来春にも一般公開する。
 重監房は三八~四七年に園内に設置され、各地の療養所で待遇に不満を訴えた患者を監禁して食事制限などの懲罰を加えた施設。収監された延べ九十三人のうち、二十三人が寒さや飢えで死亡したとされる。
 文書は、栗生楽泉園の患者が重監房の撤廃を国に訴えたことを受け、当時の厚生大臣代理が園を訪れて回答した際の記録。四七年九月十八日の日付が記されたB4判二枚の薄紙で、同席した患者が記録した内容を、カーボンで複写したとみられる。
 文書では厚生省側が「大臣の言葉と聞いていただいて差し支えない」と前置きした上で「らいは伝染力が微弱なることを認める。政策による一般世人に恐怖観念を与えるが如きことは断じてやらない」と述べている。
 「特別病室(重監房)は撤廃する」との回答があり、重監房は四七年十月に廃止された。全国の療養所にあった監禁室については、厚生省側は「本予防法(旧らい予防法)が現存する限り、撤廃はできぬが運用は園長に任せる」としている。監禁室では各療養所長が秩序維持を目的に、入所者の強制収容や食事制限をしていた。
 三一年に法制化されたハンセン病患者の強制隔離は、九六年のらい予防法廃止まで続いた。重監房資料館の北原誠主任学芸員は「国は隔離する必要がないと認識していたにもかかわらず、政策を転換させなかった。結果的に患者の社会復帰を阻んだ」と分析する。

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