六代目澤村田之助さんを悼む 香気漂う江戸和事芸

2022年7月1日 07時41分

戦後歌舞伎の名女形だった六代目澤村田之助さん。相撲ファンとしても広く知られた(写真は2013年春の叙勲での旭日小綬章受章の会見)

 六月二十三日に八十九歳で亡くなった人間国宝、六代目澤村田之助さんは歌舞伎女形の名優で、端正な演技の中におおらかさと柔らかさ、ふんわりした香気を感じさせた。市川團十郎家に代表される江戸荒事に対し、田之助さんや、いとこの故九世澤村宗十郎、二代目澤村藤十郎兄弟の紀伊國屋澤村家は、上方歌舞伎の和事と味わいの異なる江戸の和事芸を継承してきた。
 藤十郎が病に倒れ、宗十郎が亡くなった二〇〇一年ごろ、跡継ぎのいない田之助さんに紀伊國屋の危機を尋ねたことがあった。「残念なことですが、私で最後になってしまうんでしょうね」。淡々と話していたことが印象に残っている。
 戦前の子役時代に六世尾上菊五郎、十五世市村羽左衛門、初代中村吉右衛門ら名優の芸に接し、戦後は戦後歌舞伎女形の最高峰七世尾上梅幸に内弟子修業。六世中村歌右衛門の薫陶も受けた。祖父の七世宗十郎の当たり役で、自身の襲名披露に選んだ「神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)」のお舟をとりわけ大切に扱い、九世宗十郎や尾上菊之助、中村雀右衛門らに教え、詳細を極めた演技演出ノートを残した。歌舞伎の生き字引的存在で、晩年は国立劇場歌舞伎俳優研修の主任講師として後進育成に尽力した。
 芸談は折に触れて聞いたが、何よりの自慢は一九三九(昭和十四)年の大相撲春場所で、六十九連勝中の横綱双葉山が安芸ノ海に敗れた大一番を六世菊五郎の膝上で目撃したこと。「場内は異様な雰囲気で国技館を出た時も町中に衝撃が伝わっていた」。子どものころから相撲ファン、相撲図書のコレクターでも知られた。 (本紙元編集委員・森洋三)

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