<絵に潜む男の視線 永澤桂>マネが描く「自ら見せる女性」 あざとさで男性を翻弄

2022年7月3日 17時39分
 フェミニンな顔立ち。肉付きがよいのに可憐な印象を与える体つきは、マシュマロのような魅力にあふれている。《ナナ》は、こちらを見つめるコケティッシュな女性が主役の絵だ。
 実はナナというのは、娼婦しょうふがよく使った源氏名。この女性は、その中でもクルティザンヌと呼ばれた高級娼婦である。モデルは、マネの他作品にも登場したオゼール。彼女は有名な女優で、高級娼婦でもあった。
 マネは神話画などで描かれる「見られる」一方の女性から、意思のある視線を放つ「見る」女性を描いて絵画に革命を起こした。この絵の主役も下着姿の娼婦であるうえ、こちらを見ている。そばには正装した男性を描き、当時は「みだらだ」と酷評された。官展では落選した。

エドゥアール・マネ《ナナ》 ハンブルク美術館 1877年

 一方で、高級娼婦は時代をときめく存在で、あこがれの対象でもあった。ナナが身に着けたコルセットは最新流行のもので、刺繍ししゅうが施された靴下も上等だ。客に選ばれるのではなく、自分が上流階級の男性から相手を選ぶ。上流婦人も着こなしや化粧をまねたという。
 絵に戻ろう。ナナの横にいる紳士は半身が絵の枠で断ち切られ、脇役扱いされている。オペラ座にでも出かける予定なのか、手にはステッキまで持つ準備万端ぶりだ。だが、ナナはまだ下着姿。しかもよく見ると、鏡も見ずに右手におしろいのパフ、左手に口紅を持ち、両手がふさがっている。化粧の経験があれば見抜けるが、これはポーズなのだ。
 女性の聖域とされた化粧の場だが、娼婦や女優は、時に特定の男性を招き入れ、特別扱いすることで彼らの自尊心を満たした。この紳士も聖域に立ち入るのを許されたように見えるが、それは悲しい勘違い。ナナは余裕たっぷりのいたずら心で彼を翻弄ほんろうしている。
 彼女が本当に見せたいのは「化粧をする自分」。隣の紳士ではなく、この絵を鑑賞するであろう男性、つまり「将来のお客」にアピールしているのである。そのあざとさは小悪魔的な魅力として開花する。これは彼女の高級娼婦としての仕事なのだ。マネは「見る女性」を経て、何とも魅力的な「自ら見せる女性」の仕事ぶりを描ききった。

ながさわ・けい=西洋美術史・ジェンダー論研究、横浜国立大学非常勤講師


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