佐野浅夫さん死去 3代目「水戸黄門」

2022年7月5日 07時25分
 テレビの人気時代劇「水戸黄門」の三代目黄門役で知られ、長年、映画やドラマで活躍した俳優の佐野浅夫(さの・あさお、本名浅雄=あさお)さんが六月二十八日、老衰のため死去した。九十六歳。横浜市出身。葬儀は家族で行った。
 太平洋戦争中から俳優として活動し、戦後、劇団民芸に参加。一九九三年から二〇〇〇年まで「水戸黄門」の主役を務め、初代、二代目とは異なる役作りで、親しみやすい黄門像を築き上げた。
 映画では熊井啓監督作品の常連で「帝銀事件 死刑囚」「地の群れ」などのほか、鈴木清順監督「けんかえれじい」、深作欣二監督「県警対組織暴力」に出演。ドラマでは「肝っ玉かあさん」や「おやじ山脈」「藍より青く」で人気を集めた。
 また、NHKラジオで幼児向けの語り聞かせ番組「お話でてこい」を長年にわたって担当。
 一九九六年、勲四等瑞宝章。

◆戦没劇団員への思い 原点

<評伝> 映画、テレビを中心に渋い名脇役として絶妙の味を見せた佐野浅夫さん。俳優生活五十年の大きな節目に巡ってきた大役が、TBSのシリーズ時代劇「水戸黄門」の三代目黄門だった。五代目黄門の里見浩太朗さんとは親戚関係にある。
 黄門シリーズに何度も出演していたが、温和な風ぼうに似合う善良な職人役が多く、悪人を演じていなかったことが幸いした。二百四十二人の候補者からの抜てきにも「あくまでも主役は印籠」と気負いを見せず、「浮かべた涙が怒りになって、それが悪を懲らしめるような人情の厚い黄門さまを目指したい」と謙虚に抱負を述べた。その言葉通り、初代東野英治郎さん、二代目西村晃さんと比べ“佐野黄門”は優しさ、庶民性を際立たせた。
 黄門役が決まった時、東野さん宅にあいさつに行ったという。「あれほど長くやられたんだから、分身みたいなものでしょう。そうなると他の人がやるの嫌だと思うんですが、『よかった』と言ってくださって…本当にうれしかった」。語り口と表情に実直で誠実な人柄がにじみ出ていた。
 佐野さんの役者人生は、戦火真っ盛りだった日本大芸術学部在学中、同窓の高山象三さんに誘われて入団した「苦楽座」で始まった。後に劇団は「移動劇団・桜隊」と改名して全国を巡回慰問。広島の原爆で、高山さん、「エノケン一座」でも活躍した丸山定夫さん、元タカラジェンヌの園井恵子さんら九人全員が亡くなった。徴兵検査に合格して入隊したため難を逃れた佐野さんは「徴集されて命はないと思ったのに、生きながらえて俳優をしている以上は、仲間の思いを胸に歩んでいこう」と銘記し、俳優一筋の人生を駆け抜けた。
 自作の童話集を出すなどで子どもたちに夢を与え続け、子どもたちの将来を奪う戦争は二度と起こしてはならないとの強い思いを抱いていた。広島原爆忌に当たる二〇〇七年八月六日に東京で開かれた「桜隊」の追悼会では、生き残った負い目から守った長い沈黙を破り、団員たちの思い出、最期の様子を切々と語った。人情味があって、涙もろく、筋の通らないことには強い怒りを示した“佐野黄門”は、佐野さん自身の投影だったのかもしれない。 (安田信博)

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