米国のウクライナ系住民が支援に奔走 侵攻で「祖国」のアイデンティティーを自覚

2022年7月6日 16時00分

米ワシントンで、寄付された医療用品をワゴン車に積み込むボリス・レボネンコさん㊧

 ロシアがウクライナへの侵攻を続ける中、米国のウクライナ系住民らがさまざまな形で、支援に乗り出している。支援物資を集めて送ったり、交流サイト(SNS)で寄付金を募ったり、ウクライナ国内の市民活動をボランティアで支援したり。窮地の祖国を目の当たりにし、それまで希薄だった「ウクライナ人」としての自覚を強めている。(米東部メリーランド州などで、吉田通夫、写真も)
 「ショックで、何が起こっているのか実感が湧かなかった」。ウクライナ第2の都市ハリコフから2001年に移住した東部メリーランド州の自動車整備士ボリス・レボネンコさん(42)は、ロシアが侵攻を本格化した今年2月下旬を振り返る。
 3日ほどして「何かしなきゃ、助けなきゃ」という思いが押し寄せた。ウクライナの知り合いに必要な物資を聞き、医薬品などを集め、非営利団体(NPO)と連携して送り始めた。大規模な支援もいいが、配送に時間がかかるため「ちょっとした物をすぐに届けられるよう、個人でやっている」。SNSに必要物資のリストを公開し、申し出があればすぐに車で集荷に向かう。

米東部メリーランド州のアトリエで、ウクライナに送る予定の画材を前に語るインナ・スルツカヤさん

 やはりハリコフ出身でメリーランド州のアトリエ経営インナ・スルツカヤさん(53)は、3月10日にウクライナの首都キーウの知人から助けを求める連絡が入り、寄付金を募り始めた。SNSを通じて知人に支援を呼びかけ、これまでに集めた金額は3500ドル(約48万円)超。知人が関わる病院でマットレスやシーツなど物資の購入に充てられている。
 33年前にハリコフを出るまで、あまり好きな街ではなかったという。しかし、ロシアの攻撃にさらされる今は「街を愛していなかったことに罪悪感を覚える」と話す。

米東部メリーランド州で、ウクライナへの支援について語るアラ・ケセルマンさん

 ウクライナ西部リビウ出身でメリーランド州在住の医療機関研究員アラ・ケセルマンさん(47)も「これまで自分がウクライナ人だと思ったことはなかったけれど、今回のことで、急にウクライナの現代文学をすべて読みたいと思った」とアイデンティティーを自覚。SNSで寄付を呼びかけ、これまでに送金アプリで総額約1万ドルを送った。リビウの友人オレクサンダー・リトマンさん(52)が受け取り、止血剤など医薬品を購入して国内の病院などに配送している。
 リトマンさんは「侵攻当初は物資不足で薬局を何カ所も回らなければならなかったが、今は1カ所か2カ所で済むようになった」と語る。激しい戦闘が続く地域への配送は難しいが、ロシア軍が撤退したキーウには当初2週間ほどかかっていた荷物が3日で届くようになったという。

オンライン取材で語るオレクサンダー・リトマンさん

 支援は、金銭や物資だけではない。
 ハリコフ出身でメリーランド州の看護師ソニア・カグナさん(40代)は、ロシアの戦争犯罪の告発などに向けて活動しているハリコフの市民団体を、ボランティアとして手助けしている。団体がまとめたロシア語のリポートを英語に翻訳しているほか、攻撃を受けた住民が心的外傷後ストレス障害(PTSD)に陥らないよう遠隔で話を聞くこともある。

米南部バージニア州で、ウクライナの市民団体への支援について語るマルシン・ズムツキーさん

 「ウクライナは発展途上であっても民主主義国家だ」とロシアの一方的な侵攻に憤り、「ハリコフの住民は逃げないし、必ず再建する」と強調した。
 米南部バージニア州のITコンサルタント、マルシン・ズムツキーさん(59)も、今回の侵攻を機に、数年ぶりに同団体のボランティアに戻り、団体に防護用具を送ったり、米国メディアに活動を紹介したりするなどしている。自身はポーランドの首都ワルシャワ出身。歴史的にはウクライナとあつれきもあったが、今は「われわれ民主主義国家のために戦ってくれている」と支援の必要性を強調した。

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