「パン祖のパン」181年前の幻のレシピ発見 兵糧パンと違いふっくら メモ基に地元業者が再現 静岡県伊豆の国市で

2022年7月31日 07時52分

再現されたパン。硬くなく粗びきのこしょうのパンチが楽しめる

 江戸後期の1842年、兵糧用に初めてパンを焼き、「日本のパン祖」と呼ばれる韮山代官江川英龍(ひでたつ)(1801〜55年)がその前年、全く異なるパンの製法を記したメモが静岡県伊豆の国市の江川邸で見つかった。「パン祖のパン」は保存や携行に優れた硬い仕上がりだが、メモを基に地元の業者が再現した181年前の「幻のパン祖のパン」はふっくらとしていてこしょうが利いた「食卓で楽しめるパン」だった。(渡辺陽太郎)
 メモは五月二十六日、江川家の資料を整理していた江川文庫学芸員の橋本敬之さん(70)が見つけた。一八四一(天保十二)年の記述があった。うち数ページにパンのレシピがあり、橋本さんは目を奪われた。材料に粗びきこしょうと記されていたため、「兵糧パンと全く違う」。

5月に見つかった江川英龍のメモ=伊豆の国市で

 「これは新発見」と驚き、一九九二年にパン祖のパン(兵糧パン)の再現に尽力したパン製造販売の石渡食品=函南町=の石渡浩二社長(71)に連絡した。レシピを見た石渡さんは「ドイツ系だ」と分析。英龍は家臣を長崎に派遣し、パン製法を学ばせた。「出島にいたオランダ人は隣国(ドイツ)のパンの知識もあったはずだ。それが当時の日本人に伝わったのだろう」と思いをはせる。「おいしいパンになるのでは」と期待し、再現を決めた。
 幕末の日本にはパンを膨らませるために必要な酵母(イースト菌)がなかった。三十年前の再現では、日本酒醸造の際にできる酒種を使うなど、当時の製法に対応するのに腐心。その経験を生かし、約一カ月で再現できた。メモのパンは縦長で軟らかく、割るとこしょうの粒がはっきり見える。口に含むと生地の甘さを感じた直後にピリリと舌を刺激する。石渡さんは「おいしい。現代の人も楽しめる。もっとコクが出るように改良したい」と興奮気味に語る。

パン祖の地をもっと盛り上げたいと奮闘する石渡浩二さん=函南町で

 一九四四年設立の家業の三代目の石渡さんは、パン祖英龍に格別な思いがある。進学した県立韮山高校は英龍が学祖。しかし、在学中はパン祖について「人から聞かれても『乾パンを作った人』くらいしか答えられなかった」と振り返り、「すごさを実感したのは再現のときかな」と明かす。
 製法は学べても酵母はない。代わりに酒種を用いる発想。江川家では徳川家康も絶賛したとされる「江川酒」を醸造していた時代があった。英龍の時代、醸造は中止されていたが石渡さんは「知識は受け継がれていたのだろう。だからパンも作れた。パン製造をなりわいとしているからこそ、英龍の功績には感服させられた」と話す。自身も兵糧パンをヒントに七年間保存できる防災パンを開発するなどアイデアを出し続ける。
 新たな資料の発見について橋本さんは「一八四二年四月十二日が(初めて)パンを焼いた日とされるが、確かな資料は見つかっていない。メモの発見で、その日に焼いた可能性は高まった」と価値を話す。それ以上に「私も食べたが、再現したパンがおいしかったことが大きい。商品化すればよりパン祖の地を知ってもらえる」と喜ぶ。
 石渡さんはパン祖の地、伊豆の国市韮山地区に昔ながらのベーカリーをつくることを夢見る。「おいしいパンの再現は夢への弾みだ。わくわくが止まらないんだ」と笑顔でパンの改良を続ける。

「伝江川英龍自画像」(江川文庫提供)

<江川英龍(えがわ・ひでたつ)> 江戸時代、伊豆国など幕府直轄領を管轄した韮山代官を代々務めた江川家の第36代当主。海防の必要性を訴え、西洋流砲術の導入や世界遺産韮山反射炉(現伊豆の国市)、品川台場(現東京都)の築造などに貢献した。パンも国防上の観点から注目。日本で初めてパンを焼いたとされ、パン業界で「パン祖」とたたえられる。地元では号の坦庵(たんなん)で呼ばれることが多い。

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