<書評>『ダダ・カンスケという詩人がいた 評伝 陀田(だだ)勘助』吉田美和子 著

2022年8月7日 07時00分

◆直球表現で権力に反抗
[評]栗原康(アナキズム研究)

 ビラは天にむかってバラ撒(ま)くものだ。言葉が天空で砕け散り、その破片がひらひらと舞いおりる。街頭には足並みをそろえて歩く人びと。国家や会社の命令に従うのはあたりまえ。そんな人びとが突然、足並みをみだす。我を忘れて踊り狂う。手をのばし、ピョンピョン跳びはねて、つかんだ紙片をまた空にむかって投げつける。現にあるものの秩序を破壊せよ。ビラは精神の爆発なのだ。
 本書は一九二〇〜三〇年代のアナキズム詩人、陀田勘助の評伝である。友人からはダダカンとよばれて親しまれていた。著者はかれの詩をこう評している。「その率直と真摯(しんし)が、反抗の原形として優しく光る」。民衆を虐げる権力への憤り。その荒ぶる魂が直接的に表現されるのだ。たとえば関東大震災後、労働運動家や朝鮮人の虐殺に怒り悶(もだ)えたダダカンは、こんな詩をかいている。「地球の心棒に/ダイナマイトをつめこんで/変な思ひつきだ!」。ド直球である。この腐った世界をおしまいにしよう。
 その後、ダダカンはアナキズム運動に身を投じ、労働運動家として大奮闘。その間、いっさい詩はかいていない。なぜか。本書を読んでいるとみえてくることがある。デモになれば、黒旗をかかげて我さきにと警察につっこんでゆく。ストライキになれば、まっさきに現場にとびこんで大乱闘。秩序が崩れる。民衆の魂が爆発する。その行為そのものが表現になっていたのだ。日常が詩に転化する。
 しかしそんなアナキズムにも思想純化の波。運動かくあるべしと、言葉やふるまいに秩序がうまれてしまう。それが嫌になったのか。ダダカンは共産党に転じてしまう。アナキズムよりも秩序にうるさい共産党。ダダカンはなにを思ったのか。それをきく間もなく一年あまりで逮捕。一九三一年に獄死してしまった。二十九歳。若いよ。さて、そんなダダカンがいま生きていたら、なにをいうだろうか。地球の心棒に散弾銃をぶちこんで。変な思いつきだ! ビラを撒きたい。
(共和国・4070円)
1945年生まれ。近現代詩評論。著書『単独者のあくび 尾形亀之助』など。

◆もう1冊

白石嘉治著『青空と文字のあいだで』(新評論)

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