原爆投下の惨禍忘れるな 町田の83歳、被爆体験語る

2022年8月7日 07時06分

広島での被爆体験を語る竹中さん=町田市で

 「原爆の日」の六日、東京都町田市在住の被爆体験者が当時の様子を語る平和イベントが市生涯学習センターであった。当時、広島市に暮らし六歳だった市原爆被害者の会理事の竹中清史さん(83)=同市金井=が「原爆投下が比べようもない惨禍を残したことを忘れてはいけない」と、核兵器の恐ろしさと廃絶の必要性を訴えた。(宮本隆康)
 「大声で『お日さんが落ちた!』と言いながら、洗面所の母親の元に駆け込んだ」。センターで竹中さんが親子ら三十人を前に原爆投下の瞬間を振り返った。家は爆心地から約三キロ。朝食後、布団を二階に片付けようと階段下にいると突然、カメラのフラッシュが何十個もたかれたような光に包まれた。強烈な爆風が来て、母親にしがみついた。
 姉や妹ら家族六人で防空壕(ごう)に駆け込んだ。一時間ほどして出ると家は大きく壊れていた。周囲では熱線で男女の区別がつかないほど顔が真っ黒に焼かれ、全身にやけどを負った人たちが歩いていた。熱さのため川に飛び込む人もいたが、多くがそのまま亡くなった。
 「わずかな時間差で二階にいれば自分も爆風で死んでいた」と竹中さん。戦後は化学メーカーに勤めた。母親は「家族全員が死ぬこともなく、もっと大変な他の被爆者に申し訳ない」と、最後まで被爆者健康手帳の交付を申請しなかった。
 母が亡くなった二〇〇五年、竹中さんはきょうだいと相談し「被爆した記録を残し歴史の証人になろう」と被爆者手帳を申請し、認定された。五年前、市原爆被害者の会に入った。
 市内で被爆者手帳を交付された人は現在、約二百二十人。高齢化が進み、体験を話せる人も減る中、「被爆者の命はそう長くはない。いかに若い人たちに伝えるかが課題」と語り部の活動をしている。
 竹中さんは最後に語りかけた。「亡くなった多くの人をあらためて思い起こし、再び悲劇を繰り返さないよう、核兵器廃絶の実現に努めなければいけない」

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