<ねぇゴローちゃん!腹話術師の旅日記>長崎原爆77年 「あの子らの碑」に核廃絶祈る

2022年8月7日 07時08分

「あの子らの碑」の前で記念写真を撮るしろたにさん=2020年2月、長崎市で(本人提供)

 また、あの八月九日がやってきます。
 今から七十七年前、長崎に原爆が落とされたのです。私は二年半前、コロナがはやり始める直前に、長崎市内の三カ所で腹話術の上演をしました。平和の話をしてほしいという要請で、長崎市立山里小学校にも行きました。その小学校は爆心地から北へ約六、七百メートルの所にあります。
 鉄筋三階建ての校舎は全壊、当時、防空壕(ごう)掘りのため出勤していた教職員三十二人のうち二十八人が亡くなり、生き残ったのは四人だけでした。夏休み中だったため児童はほとんど登校していなかったのですが、在籍千五百八十一人のうち約千三百人もの児童が死亡したそうです。
 その小学校の校内には別棟で原爆資料室があります。入ってみると、高熱で焼けただれた瓦や熔(と)けた瓶(びん)の実物や当時の写真などが展示してあり、悲惨さが胸に迫ってきます。
 永井隆博士の資料も並んでいます。実は私の兄=当時(17)=もすぐ近くの三菱兵器工場に徴用工として駆り出され、原爆の犠牲になったのです。父はその兄を捜しに六十キロも離れた家から十数時間かけて歩いて行き、一、二日間捜し歩いたそうです。しかし、一面の焼け野が原で誰の骨かも分からず帰ってきました。それ以来父は下痢が止まらず長年苦しんでいました。
 今思うと放射線の二次被害ではないかと思います。父は何年か後に死にましたが、命日はくしくも兄と同じ八月九日でした。
 また、私は高校時代、長崎県小浜町(現雲仙市)の実家を離れて長崎市内の学生寮に住んでいましたが、山里小学校のすぐ近くでした。そんな縁のある小学校で「ゴローちゃん」をやれたのはうれしかったです。集まってくれた児童たちは約九十人。初めて見るゴローちゃんに大はしゃぎ。終わると私たちを取り囲んで帰してくれません。
 どうしても撮りたかった記念写真は、永井隆博士の提唱で校内に建立された「あの子らの碑」。原爆で亡くなった子どもたちの魂がこもっているのです。
 核拡散防止条約(NPT)再検討会議が今開かれていますが、核兵器をなくすために人類の英知を集めてほしいと願わずにはいられません。(しろたにまもる=寄稿)

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