<つなぐ 戦後74年>祈る 永遠の平和 千鳥ケ淵墓苑の遺族ら

2019年8月15日 16時00分

戦没者を思い献花する親子連れら=15日、東京都千代田区の千鳥ケ淵戦没者墓苑で

 終戦から七十四年がたち、時代は「平成」から「令和」へと移った。三十六万柱の遺骨を納める千鳥ケ淵戦没者墓苑(東京都千代田区)では十五日、朝から多くの遺族らが手を合わせた。「時代が変わっても戦後が続きますように」。戦争体験者が減っていく中、参加者たちは平和をつないでいく決意を新たにした。 (中沢誠、望月衣塑子、小倉貞俊)
 「今年も戻ってまいりました。皆さん、安らかに眠ってください」。黙とうする東京都北区の槙原一栄(かずえ)さん(89)の手には、小さな巾着袋が握り締められていた。袋には、四年前に八十九歳で亡くなった夫・幸成さんの遺骨が入っている。
 十九歳で出征した幸成さんは戦後、シベリアで四年間にわたり抑留された。多くの仲間たちを失ったことに苦しみ続け、シベリアで亡くなった日本人の遺骨収集を行政に要望してきた。墓苑にも毎夏、参拝してきたという。
 幸成さんの死後は、一栄さんが代わって参拝を続けている。「夫は晩年、『二度と戦争は繰り返させない』と、小学生から大人にまで、さまざまな機会で語り部の活動をしていた。戦争はいけない、ということにどんな理由もいりません」
 義理の母の兄が南方で戦死したという台東区の主婦奈良和子さん(50)は四年前から、終戦の日に墓苑で祈りをささげている。毎年、訪れていた義母は亡くなり、遺志を継ぐ。
 「南方で戦死とだけ伝えられ、どこで最期を迎えたのかさえ分からない」と奈良さん。改憲の動きに触れ、「あれだけの犠牲者を出しながら安倍政権は、憲法九条の改正を進めようとしている。亡くなられた方々を思うと申し訳が立たない。絶対、九条は変えてはいけない」と語気を強めた。
 会場には若い人たちの姿も。「ひいおじいちゃん、追悼に来たよ」。神戸市から妹(12)と二人で訪れた高校一年の松尾季歩(きほ)さん(15)は、制服姿で納骨堂に手を合わせた。
 写真でしか見たことのない曽祖父はフィリピンで戦死した。まだ二十代だったという。母の勧めもあって初めて兵庫県の団体参拝に参加した松尾さんは、「やっぱ戦争はいかん。私たちみたいな若い人が戦争の記憶を引き継いでいかないと」と誓った。
 三歳の頃から父親(38)と訪れている東京都墨田区の小学三年川松慈永(じえい)君(9つ)は、「東京大空襲を経験したひいおばあちゃん(91)から『戦争は絶対やってはいけない』といつも聞いている。学校でも世界で起きている戦争や日本の広島、長崎での原爆投下の話を勉強した。核兵器やミサイルを使ってではなく、話し合いで解決していかないといけないと思う」と話した。

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