<つなぐ 戦後74年>広島原爆の日 3歳で被爆・箕牧さん 記憶たぐり発信

2019年8月6日 16時00分

被爆から74年の「原爆の日」を迎え、雨の中、大勢の人たちが訪れた平和記念公園の原爆慰霊碑。手前は原爆ドーム=いずれも6日午前、広島市で

 「二度と戦争を起こさせない」。令和になって初めての「原爆の日」を迎えた6日、多くの人が平和への祈りをささげた。悪化する国際情勢に危機感を募らす被爆者たち。74年が経過しても、核廃絶を目指す決意は変わらない。自分たちの記憶をたぐり寄せながら次世代につなぎ、子どもたちはその思いを受け継いだ。 
 三歳で原爆に遭った。幼かったため、当時の記憶は途切れ途切れだ。しかし「被爆者として核の脅威を伝える使命がある」と日々、平和の尊さを訴える。原爆投下から七十四年。箕牧(みまき)智之さん(77)は広島県原爆被害者団体協議会(県被団協)の「理事長代行」として初めての八月六日を迎えた。
 「今年も元気に式典に来られてよかった」。六日朝、箕牧さんは平和記念公園の慰霊碑の前に立ち、人々の努力によって復興を遂げた広島の歴史を改めて思い起こした。
 戦後、日本は不戦の誓いを守り、令和という新しい時代を迎えた。しかし世界では今も紛争が絶えない。「平和が一番。人々が安心して生活できる世界を目指さなければ」と決意を新たにした。
 県被団協の坪井直(すなお)理事長(94)は戦後の反核運動を先導し、二〇一六年にオバマ前米大統領が広島を訪問した際は被爆者代表として握手したことで知られる。だが、高齢により行事への参加などが難しくなってきたことから県被団協は昨年十二月、理事長代行職を新設。

箕牧智之さん

 以来、箕牧さんが副理事長と代行職を兼務しているが「坪井さんの代わりになれる人間はいない。代行職をどうやっていくか悩みもあった」。
 広島市近郊に住んでいた箕牧さんは、原爆投下後の八月七日と八日、爆心地から約二キロの広島駅に勤めていた父を捜して市内を歩き回り、残留放射線を浴びた入市被爆者だ。
 〇五年、自宅のある同県北広島町の被爆者団体会長になったことを機に県被団協の理事に就任。母親から聞いた話を基に証言活動を続けるが、当時の記憶は薄く「詳細に体験を語れないもどかしさを感じることも多い」という。
 だが、これまでに何度も被爆者の声が持つ力を実感してきた。特に一七年、核兵器禁止条約の会議を傍聴するため訪れた米国で、自分の証言を聞いて涙した現地の女子学生の姿が忘れられない。「一つ一つは地味で地道な活動だが、思いを受け取ってくれる人はいる」
 長年活動を共にする坪井さんは「師匠のような存在」。約十年前、坪井さんが旅先のホテルで、尻に残るケロイドの痕を直接見せてくれたことがあった。「背負ってきたものの大きさを感じると同時に、この方の思いを引き継いでいかにゃいけんと心に決めた」
 被爆者の平均年齢は現在、八十二歳を超える。箕牧さんは「先輩たちの活動があって今の広島があるし、私にも被爆者としての思いがある。それら全てをまとめて、しっかりと語り残していきたい」と力を込めた。

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