原爆で夫、長女失い 母は心中試みた 千葉の女性、体験をDVDに

2019年7月31日 16時00分

原爆投下前に撮影した山本家の家族写真。左から、当時39歳の母・山本信子さん、6歳の英子さん、8歳の姉・洋子さん、41歳の父・信雄さん

 一九四五年八月六日に広島市への原爆投下で被爆、昨年十月に七十九歳で亡くなった小野英子(えいこ)さんが、実母の被爆体験記をまとめたDVDと冊子を生前に作った。迫り来る死期と向き合いながら、実母の体験を次世代に伝えるため取り組んだ。原爆の日を前にDVD上映会が八月四日、晩年を過ごした千葉県習志野市で開かれる。 (砂本紅年)
 小野さんは六歳の時、爆心地から約一・五キロの自宅で母と被爆した。奇跡的に助かったが、教員の父は爆心地近くで死亡。八歳の姉は学校で被爆し、二日後に救護所で亡くなった。
 米ハワイ生まれの日系二世だった小野さんの母、山本信子さんは一九七八年、がんで亡くなった。小野さんは遺品整理の際、「memoir of flames(炎のメモワール)」と題した英語の手記を発見した。
 手記によると、信子さんは被爆の二日後、遺体となった長女と対面した。死ぬ間際まで「水をちょうだい」と泣いていたと知り、助けられなかった自責の念から、英子さんと無理心中を決意。海に英子さんの頭を押し込んだが、踏みとどまったと記している。
 手記は原爆投下から二年後、信子さんが原爆の悲惨さを世界に知らせるため、米国の雑誌「タイム」に送ろうとした文章だった。連合国軍総司令部(GHQ)の検閲により、タイム誌には届かなかったという。
 小野さんは「母の願いをかなえたい」と、日本語などに訳した小冊子を作成。八二年の国連軍縮特別総会で配布され、母の願いを三十五年かけてかなえた。
 小野さんは被爆後、放射性物質を含んだ「黒い雨」に打たれ、激しい吐き気や脱毛などに襲われた。十代半ば以降は治まったが、六十代半ばから甲状腺の病気に苦しみ、長年続けていたファイナンシャルプランナーの仕事を断念。二〇〇八年、東京都内から長女の住む習志野市に移った。
 「急激に病気が悪化するのは原爆の影響かもしれない」という医師の言葉で、「黒い雨の冷たさを思い出した」。小野さんは約十年前から、習志野市内の被爆者の会に誘われ、地元の小中学校などで自分や母の被爆体験を語り継いだ。
 語り部活動の中で、冊子が教材に使えると気付いたが、手元にほとんど残っていなかった。四年前には、肺がんで「もって年内」と宣告を受け、「作り直すなら今しかない」と再発行を企画した。昨年度、市の補助金約三十万円を受け、闘病しながら作業を開始。知人らの協力で絵や音楽、朗読からなるDVD(約三十分)千枚、冊子(B5判十四ページ)二千部を死の直前に完成させた。市内の小中学校などに配った。
 小野さんの長男広記さん(46)は「母は後半生、祖母の手記につづられた思いの重みを背負って生きた。『七十年かかったけれど、やっとできたよ』が最期の言葉でした」と話す。

小野英子さん(左)の、母の手記の朗読などが入ったDVDのカバー

◆4日に上映会

 DVDなどを託された市民団体「習志野小さな風の会」の内山昭雄代表(75)は「上映会などで小野さんたちの体験を語り継ぐ際に活用したい」と話し、四日午後一時半から、東習志野コミュニティセンターで上映会を開く。予約不要、無料。問い合わせは、内山さん=電090(9360)6268=へ。

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