<ぬちかじり 沖縄を伝える>(下)地元の目 何を映す 余命1年 無理解にあらがう

2019年6月23日 02時00分

米軍基地を囲むフェンス上の鉄条網について話す森口豁=沖縄県浦添市で

 五月中旬、ジャーナリストの森口豁(かつ)(81)=千葉県松戸市=と沖縄県浦添市の米海兵隊基地を訪ねると、民家やコンビニが基地のすぐそばまで迫っていた。ふいに森口が「フェンスの上にある鉄条網が、外を向いているのはおかしいと思わないか」と問いかけてきた。
 鉄条網は不審者の侵入を防ぐものだから、外を向いているのが普通だ。首をかしげると、森口は「女性への暴行や交通事故など、基地の中から米兵が出てきて犯罪を起こしている。沖縄の人は、防ぐべきは米兵の方だって思っている」と語気を強めた。
 森口は出身地の東京から沖縄に移住し、現地の目線にこだわって報道してきた。その立ち位置を意識したのは大学生だった一九五七(昭和三十二)年夏、二度目に沖縄を訪問した時の出来事がきっかけだという。
 報道写真家を目指していた森口は、農村の暮らしを撮影しようと、三和村(現糸満市)を歩いていた。畑を耕している高齢女性に「こんにちは」と声をかけると、女性はクワを放り出し、家の中に逃げていった。
 初めて沖縄を訪れた前年、沖縄戦では日本兵が壕(ごう)から住民を追い出したり、泣き声を上げる赤ん坊を殺すよう母親に命令したりしたと聞いていた。「怖い目に遭わされた日本兵と私が重なったのではないか」と衝撃を受けた。
 「戦争や基地を持ち込んだ本土は加害者。自分はその一人なんだ」との罪悪感を胸に、沖縄の人の思い、声、息づかいを伝えようと心に決めた。
 七二年五月、沖縄が本土復帰した時の報道も、地元目線にこだわった。当時は琉球新報を辞め、日本テレビの沖縄特派員。米軍の在沖陸軍司令部に初めて揚がる日の丸をどう取材するか、本土のクルーと打ち合わせた。
 米軍からは、基地内で日の丸を撮影できるという取材案内がきていた。だが、森口は「それは違うんじゃないか」と主張。「基地に揚がる日の丸は、復帰しても基地がなくならないことの象徴。複雑な気持ちで見つめる沖縄の人の目線で撮るべきだ」。フェンスの外から撮った映像を報じた。
 東京本社勤務になった後も沖縄の取材を続けてきた森口。浦添市の米海兵隊基地を訪ねた先月中旬も、基地内の日の丸は星条旗の隣でゆらゆらと揺れていた。「当時は何を取材する場合でも俺たちはどこに立つべきか、とことん考えた」と森口は静かに話した。
 がんで余命一年を宣告されたのは今年二月。三月に手術し、抗がん剤治療を続けている。副作用による体のだるさや頭痛などに苦しみながら、「沖縄の歴史、人々の気持ちを深く知ってほしい」と講演を続ける。
 いつまで自由に動けるか分からない。それでも沖縄への無理解にあらがい続ける。ぬちかじり(命の限り)。 (敬称略)
 =この連載は石原真樹が担当しました。

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