鴎外荘 忘れない… 今月末閉館 「舞姫」生んだ旧邸

2020年5月13日 02時00分

宴席などで利用される和室「舞姫の間」。鴎外の遺言が展示されている

 新型コロナウイルスの影響で、5月末に閉館が決まった文豪・森鴎外(おうがい)(1862~1922年)ゆかりの上野の老舗旅館「水月(すいげつ)ホテル鴎外荘」。鴎外の旧邸や天然温泉など見どころは盛りだくさんだが、外出自粛が続き、宿泊を断念した人も少なくない。鴎外荘の記録と記憶を残すため、女将(おかみ)の中村みさ子さん(63)に敷地内を紹介してもらった。
 最初に案内されたのは、都内第一号に認定された天然温泉。湯は少し黒くにごった「重炭酸ソーダ泉」で、リウマチ、高血圧などに効果がある。中村さんは「肌をしっとりさせる『美肌の湯』とも言われています」と話す。湯船はヒノキと大理石の二種類。特に樹齢二千年の古代ヒノキを使い、漆で仕上げた「檜(ひのき)の湯」が人気だ。旅館が創立された約八十年前、近くの銭湯で温泉を使っていたことから、創立者が思い付きで掘ってみると、幸運にも温泉が出たという。
 旧邸につながる中庭には、二つの文学碑がある。鴎外文学の発祥の地を記念した「舞姫の碑」「於母影の碑」で一九八三年に建立。鴎外の三男、森類さん(故人)らが協力し、碑文の題字や署名、本文すべてを鴎外直筆の原稿から写し取った。旧邸の玄関に置いてあった石を使っている。中村さんは「二つの文学碑があるのは、全国でここだけなんですよ」と言う。
 そして歴史を感じる門をくぐると、築百三十四年となる旧邸が目に飛び込んでくる。緑豊かな庭とニシキゴイが泳ぐ池もまぶしい。樹齢三百年のカヤや二百年以上の梅が客人を出迎える。二〇〇二年に復元した玄関には、鴎外が使っていた下駄箱(げたばこ)が当時のまま残る。まさに明治時代にタイムトリップしたような気持ちになる。
 鴎外は二十代後半、最初の妻となる赤松登志子との新婚時代を旧邸で過ごし、「舞姫」「うたかたの記」「於母影」を執筆した。旧邸はもともと赤松家の持ち家だった。くぎを使わない伝統工法で建てられた木造家屋で、空襲や震災の被害を受けていない。
 宴席などで利用される三十五畳の和室「舞姫の間」には鴎外の遺言書が展示されている。亡くなる三日前、鴎外は幼少時代からの親友を呼び寄せ、ふるさとへの思いを寄せた遺言書を書いてもらった。その後、昏睡(こんすい)状態となり、息を引き取ったという。舞姫の間には、鴎外が小説家の幸田露伴や斎藤緑雨と、後に移り住んだ文京区内の自宅「観潮楼」で撮影した写真も飾られている。
 旧邸には洋間もある。文明開化の薫りが漂う「蔵の間」は会食などで使われる。その名の通り、鴎外は当時、蔵として荷物などを置いていたとされる。「接待や会食で一番人気の部屋です」と中村さん。二〇〇三年までは使っていなかったが、壁を塗り直し装いを新たにした。
 五月末の閉館まで半月ほどに迫ったが、旅館には閉館を知った全国の人から感謝の手紙が届いているという。中村さんがつらかったとき、助けてくれたのも宿泊客だった。「温泉のボイラーが壊れたとき、お客さまから『ぬるかった分、いいお湯にゆっくり入れた』と声をかけてもらった。涙が出た」と振り返る。
 地域で一番のおもてなしをすると、モットーに掲げてやってきた。後悔のないように、最後の一秒まで心を尽くすつもりだ。
 文・天田優里/写真・佐藤哲也
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