<銀座新聞>ツバメが今年もやってきた

2020年5月4日 02時00分

松屋銀座東館の軒先にあるツバメの巣(奥)。近くに人工巣も 円内は巣に出入りする今年のツバメ=4月21日撮影

 天敵を避けるため人通りの多い場所に巣をつくるツバメは、古来、商売繁盛のシンボルとして大切にされてきた。緊急事態宣言で人が減った銀座に、今年もツバメが飛来した。苦境の繁華街に幸運を運び込んでくれるだろうか。
 銀座三丁目の松屋銀座。「都市鳥研究会」幹事の金子凱彦(よしひこ)さん(75)に教えられた場所を探すと、東館の前に白いフンが。見上げると、ひさしの内側に巣がある。地上から四メートルほど。中で鳥がごそごそ動いている。
 「卵を抱き始めたのでしょう。昨年より早い」。電話口で金子さんが声を弾ませた。銀座のツバメ観察をライフワークにするが、今年は、新型コロナの影響で都心に足を運べない。気になって仕方がない様子だ。
 金子さんが「銀座のツバメ」に興味を持ったのは、一九七〇年代。勤務する出版社近くのビルで、巣を見つけた。都会の真ん中で繁殖しているのに驚いた。「都市鳥研究会」に入会し、八四年から調査を本格的に開始。毎日、出勤前と勤務後に銀座を歩いた。
 当時から松屋東館には巣があった。現在の巣は築二十八年で、使い込まれるうちに大きくなった。
 二〇〇七年の退職後も銀座に通う金子さんの記録によると、最多の一九八七年は銀座に八カ所あった営巣場所は、二〇一一年から二~三カ所を推移。有楽町や丸の内、大手町などでもツバメは見られなくなった。
 再開発が要因だ。ツルツルの金属やガラスに覆われたビルに巣は作れない。古い建物が消えればツバメも姿を消す。
 「ところが、昨年は巣が一気に六カ所に増えたのです」。すべての場所で、巣立ちに成功した。松屋では、銀座の最多記録に並ぶ六羽が一度に巣立った。
 なぜ、増えたのか。何か起きたのか。「最近の銀座の変化といえば…『ミツバチ』です」
 松屋と同じ銀座三丁目にある「紙パルプ会館」屋上で二〇〇六年から養蜂が始まり、現在は三カ所で数十万匹のミツバチが飼育されている。これをツバメが食べるのが目撃されている。昨年、初確認された巣があるのも銀座三丁目。ツバメは飛んでいる虫しか食べない。虫が付かない街路樹が増えた今、飛んでいる虫といえば…。「新たな生態系が生まれているのかもしれません」
 「銀座ミツバチプロジェクト」養蜂グループリーダーの山本なお子さんは、昨年から、ハチの世話のついでに松屋にツバメの様子を見に行っている。
 「都会の中で、いろいろな生きものが命をやりとりしている。ハチがエサになっていると思うと複雑ですが、銀座に巣が少なくなったのも人間の影響。したたかに生き、子育てするツバメを応援したい」と、温かく見守っている。

◆なぜ、つばめグリル

 ツバメのことを聞いたら「つばめグリル」と勘違いされた。銀座では飛ぶツバメよりもグリルの方が有名なようだ。都市鳥研究会の金子さんが著書「銀座のツバメ」で、こんなエピソードを紹介している。
 街を代表するレストランの創業は1930年。当時はツバメは、たくさん飛んでいた。命名の理由だろうか。
 運営会社「つばめ」に聞いたら、由来は「特急燕(つばめ)」だった。国内では先駆けとなる駅の構内食堂を新橋駅で始めたとき当時の国鉄の最速列車にあやかり社名にした。しばらくは別の名前だった食堂も、37年に「つばめグリル」となった。
 終戦翌年の46年、銀座1丁目に移転。ロングセラー商品の「つばめ風ハンブルグステーキ」は、74年に誕生した。魚や肉を包み、蒸し焼きにする「パピヨット料理」をヒントに、ハンバーグをアルミホイルでふっくら焼いた。
 3代目社長の石倉悠吉さんは、苦しい時代、街の商店主から「銀座の旦那衆に恥ずかしくない商いをしよう」と助言されたのを胸に刻む。老舗の仲間入りをした店は、2008年に再開発で閉店。5丁目の「銀座コア店」が伝統を引き継ぐ。

◆銀座

 東京湾に突き出た今の中央区の湿地帯を、江戸幕府が町人地として造成。碁盤の目のように整然とした街区ができた。「銀座」の由来は銀貨の鋳造所が置かれたため。
 1872(明治5)年の大火をきっかけに、東京府が商業地にするための区画整理を行う。2階建てに統一した煉瓦(れんが)建築の街並みを整備し、文明開化のシンボルとなった。「煉瓦亭」「資生堂パーラー」など、多くの有名店がこの時期に創業。「銀座」は繁華街の代名詞となり、全国に「○○銀座」が増殖した。
 ★フランク永井の歌う「西銀座駅前」(1958年)は実在した。現在の丸ノ内線銀座駅のこと。64年に日比谷線との連絡通路ができて西銀座駅と銀座駅が一体になった。
 ★全国にある○○銀座。発祥は銀座ではなく、京都の伏見銀座。江戸幕府が初めて置いた貨幣の鋳造所だ。

◆編集後記

 ツバメを探して、銀座を歩いていたら気が付いた。数寄屋橋、有楽橋、京橋、新富橋、万年橋…。街を取り囲む道は、交差点の名前が「橋」づくしなのだ。
 自動車が普及する前、商業地は水運が重要だった。この道は、もともと川だった。水辺には柳が茂る。花札の絵柄になっているようにツバメは柳を好む。銀座は、ツバメの楽園だったのではないか…。
 銀座から人が消えた。見たことのない景色の中で想像力が刺激され、さまざまな連想が湧いてきた。
  文・浅田晃弘/写真・芹沢純生
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