<泉麻人の気まぐれ電鉄 東京近郊>(2)多磨霊園散歩と南武線終点探訪

2020年4月20日 02時00分
 泉麻人さんが、なかむらるみさんと電車で東京近郊をぶらつく散歩エッセー。その2回目です。

◆武蔵境→多磨→是政:西武多摩川線 南多摩→尻手→浜川崎:JR南武線

 中央線武蔵境駅の脇から西武多摩川線というローカル風情の電車が出ている。ホームにはピンクとアイボリーのツートンカラーの車両が止まっていたが、これは1960年代の配色を復刻したもので、ユネスコ村や豊島園に遊びにでかけた子供の頃のことが回想されてくる。
 電車が新小金井を過ぎると豊かな緑地が広がる野川公園の橋を渡る。次の多磨駅で途中下車することにしよう。
 ここは多磨霊園の門前駅。踏切脇の人見街道あたりから石屋さんが目につき始める。ブリキ板に“木村屋”などと手書きで記した、昔ながらの佇(たたず)まいの石屋がよく残っていてホッとする。
 広大な園内には名士の墓も多い。名誉霊域通り沿いの一等地に東郷平八郎の墓が置かれている。その並びには山本五十六。高橋是清、江戸川乱歩、北原白秋、ディック・ミネ、ゾルゲ…著名人の幅が実に広い。「太陽の塔」を思わせるオブジェのある岡本太郎・かの子・一平の家族の墓が印象に残った。
 外に出て、正門前のカフェでランチを取った。シャレた洋館づくりの建物、外壁に「マル忠」マークが入ったここも元は石屋さんなのだ。カフェの脇に花屋、裏方には石材が並び、いまも石屋は続けているようだ。応接間風の店内でハヤシライスを注文して、カウンターの若い女性に伺ったところ、彼女の曽祖父の代からの石屋というから、霊園の開園当初からの家だろう。
 多磨駅から再び多摩川線に乗る。白糸台の先で京王線と交差して、中央自動車道をくぐると競艇場前、そして終点の是政(これまさ)。時代劇の役名をイメージさせるこの駅名、やはり由来は人の名で、北条氏照の家臣、井田摂津守是政がもとらしい。
 井田是政らしき武士のマンガ調キャラの看板が出たさびしい商店街をぐるりと通りぬけて、多摩川に架かる、レインボーブリッジ風のハープ状の欄干を備えた是政橋を渡る。
 渡った向こう岸には南武線の南多摩という駅がある。駅前広場には稲城名物の梨がモデルの<稲城なしのすけ>、ヤッターマンの<ヤッターワン>の像がある。いずれもガンダムのモビルスーツなどのデザインで知られる大河原邦男氏の作。氏が稲城出身という縁によるらしい。
 是政駅と多摩川の橋一つ挟んだ南多摩駅から南武線に乗って川崎方面へ進路をとろう。矢野口、稲田堤、中野島…この辺は多摩川の岸に向かって“なしのすけ”のもとにもなった梨の畑が広がっていた地域だが、いまや車窓は宅地に埋めつくされている。終点の川崎の手前、尻手(しって)で降車した。海側へ直進していく南武線支線へ乗り継いで、終点の浜川崎まで行ってみたい。
 30分ほど電車がこないので尻手の駅前を散歩してみよう。尻手という字面も語感も面白い駅名を意識したのは、焦げ茶の南武線が走っていた高校時代。当時(72年)デビューして、瞬く間にブレークした郷ひろみのお父さんが尻手の駅員だなんて話題がよく芸能誌に載っていた。
 尻手の町はなかなか見るべきものがあった。<DVD鑑賞>の大看板を掲げたドライバー向けの娯楽場があったり、<しって銀座>という場末めいた商店筋が口を開けていたり。
 小田栄(おださかえ)というアイドル女優みたいな駅の次が終点の浜川崎。駅を出るや否や、すぐ先の踏切を貨物列車が通過していった。
 踏切を渡った先は鋼管通の町名を付けた旧日本鋼管由来の工場街。<川崎ハード>という渋い屋号を掲げた町工場の脇からまた別の貨物線の低いガードをくぐると、川崎鶴見臨港バスの営業所があった。その裏門傍らの路地裏みたいな一角にぽつんと立った停留所から川崎駅行きバスが出ている。帰路はこのバスに乗って川崎へ出ようか…。
<所要時間・運賃>武蔵境-多磨=5分・180円/多磨-是政=7分・150円/南多摩-尻手=38分・400円/尻手-浜川崎=8分・160円
<いずみ・あさと> 1956年生まれ。コラムニスト。著書に「1964 前の東京オリンピックのころを回想してみた。」など
<なかむら・るみ> 1980年生まれ。イラストレーター。著書に「おじさん図鑑」「おじさん追跡日記」など
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