浅草の顔 帰ってくる! 人の心を明るく 願い

2020年4月14日 02時00分

新しい大提灯と、「雷門」の文字を書いた高橋提燈の高橋康二会長=京都市で

 浅草寺のシンボル、雷門の大提灯(ちょうちん)が、間もなく帰ってくる。京都市の老舗「高橋提燈(ちょうちん)」で職人たちが伝統を受け継ぎ、新しい提灯の制作に取り組んでいる。細部にいたるさまざまな工夫や知られざる大提灯の裏話を追った。
 同市山科区にある同社の工場。一階と二階の吹き抜け部分に、見慣れた真っ赤な大提灯がつるされていた。高さ三・九メートル、幅三・三メートル、重さ七百キロの巨大な大提灯を作るためだけに、二階の床を可動式に設計して建て直した。営業部の丸山弥生さんは「残すは最終チェックのみで、ほぼ完成しています」と話す。
 同社が大提灯の制作を担当するのは一九七一年以降、六回目。今回は十人の職人が関わり、一昨年末~昨年一月、材料の丹波産の竹を準備することから始まった。冬でないと、竹に虫が入ってしまうからだという。福井県産の和紙やのり、絵の具は特別な物を使用。初代提灯から引き継がれている竜の彫刻は今回も再利用され、底部分に設置される。
 制作工程は七段階。(1)提灯の骨格に当たる竹骨を作る(2)木型に合わせて竹骨を巻く(3)竹骨に糸を巻き付ける(4)和紙を張る(5)提灯に絵付けする(6)専用の墨で文字を書く(7)提灯の上下に道具をはめ込む。屋外で使う場合は最後に水をはじく油を塗るが、大提灯は雷門が雨よけとなるため使っていない。三~四カ月かけて作られる。
 大提灯でもっとも目立つ「雷門」の文字にも工夫がある。毎回、文字を書く同社の高橋康二会長(86)は「提灯を正面と横から見て、何が違うか分かりますか」。正面からは気付かないが、側面からだと「門」の字が外側に向けて「ハ」のように書かれているのが分かった。提灯は丸みを帯びているため、普通に書くと内側に曲がって見えてしまうからだ。高橋会長は「東京・浅草の顔だと思い、一作一作、心を込めて書いています」と目を細める。
 完成後は東京まで大型特殊トラックで運ぶ。大きすぎて高速道路の料金所ゲートを通れないため、一般道を約二日かけて「江戸」を目指す。
 浅草寺によると、雷門に大提灯が初めてつるされたのは一八〇〇年ごろというから、意外と歴史は浅い。門の工事に尽力した屋根職人らが奉納したとみられる。雷門自体は九四二(天慶五)年に駒形に建立したのが始まりで現在地に移ったのは鎌倉時代以降という。
 雷門は幕末の一八六五年に焼失。以降は、アーチ状の門など仮設物が設置されていた時代もあったが、一九六〇年、松下電器産業(現パナソニック)創業者の故松下幸之助さんの寄進で再建。「雷門」と書かれた大提灯も、その時に奉納された。
 提灯は奉納した町やグループの名を書くのが一般的。例えば、江戸時代の浮世絵師・歌川広重が描いた雷門の絵では、大提灯に「志ん橋」(新橋)と書かれているが、松下さんは企業名を書かなかった。
 今回新調される大提灯は、十七日につるされる見通し。式典は、新型コロナウイルスの影響で中止になった。高橋提燈(ちょうちん)の川崎正彦社長(60)は「新しい提灯をつるすことで少しでも明るい気持ちになっていただけたら」と願いを込めている。
 文と写真・天田優里
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