清洲橋の設計者が遺した写真 アルバム発見 あふれる橋への愛

2020年3月31日 02時00分

関東大震災の復興事業で、架け替えのための解体工事が進む旧両国橋(都提供)

 昭和の初め、隅田川に架かる両国橋を解体する様子など多数の写真を収めたアルバムが都の施設で見つかった。撮影したのは国の重要文化財で隅田川の清洲(きよす)橋を設計した旧内務省復興局の技術者、鈴木清一さん(顔写真、故人)。戦後、出向した岐阜県で建設した橋の写真もあり、橋とともに生きた鈴木さんの情熱が伝わってくる。
 鈴木さんは東京都出身。九州帝大(現在の九州大)卒業後、戦前の内務省に入り、関東大震災(一九二三年)後に同省復興局で技術者として勤務した。八六年、八十六歳で死去。
 鈴木さんが遺(のこ)した橋のアルバム数十冊や橋梁(きょうりょう)関係の独・英語の書籍百冊以上は、平成の初めごろ、遺族によって都に寄贈された。しかし、あまりにも膨大なため内容の確認が進まず、江東区にある都建設局土木技術支援・人材育成センターに長年眠っていた。それらを、全国の橋に精通する同局道路建設部の前橋梁構造専門課長・紅林章央(くればやしあきお)さん(60)が「発見」した。
 鈴木さんの大きな功績は、「震災復興の華」と呼ばれた清洲橋の設計を担当したこと。関東大震災後の一九三〇年前後、復興事業として、隅田川の多くの橋が架け替えられた。清洲橋も、その一つ。ドイツのつり橋を模した橋は「優美な姿で、過去から現在に至るまで、最も人気がある」(紅林さん)という。

見つかった橋のアルバム。後方中央が都建設局の紅林章央さん=江東区の都土木技術支援・人材育成センターで

 「橋の復興」の当事者で、優れた技術者だった鈴木さんが撮った写真とは。アルバムには、三〇(昭和五)年四月、架け直すために両国橋を解体する光景が時系列別に収められている。作業員が橋上で部材をはがしていく様子が手に取るようにわかる。この時に撤去されたトラス(三角形に組まれた骨組みの構造物)は亀島川に架かる南高橋(みなみたかばし)(中央区)に移築され、現存している。
 清洲橋の模型の写真や、鈴木さんとの関わりは不明だが、日本橋川に架かる錦橋、開業前とみられるJR浅草橋駅の写真も。写真は当時の風俗も物語る。昭和初期の隅田川花火の日、両国橋から撮影された写真には、法被姿で小舟に座り、花火を待つ人々の姿が収められていた。
 鈴木さんは内務省で復興に関わった後、戦前は茨城県、戦後は岐阜県に出向。岐阜県の記録によると、四六年三月から五四年十月まで、同県土木部長を務めた。戦後の物不足にもかかわらず、岐阜市の長良川に架かる忠節(ちゅうせつ)橋(四八年完成)や長良橋(五五年同)など、今も現役の大型橋梁を完成させた。
 アルバムを見つけた紅林さんも「橋のエキスパート」だけに、感慨はひとしおだ。「アルバムなど一連の資料はこれまでに見たこともないほど、きちょうめんに整理されている。鈴木さんの橋への造詣の深さ、愛情が伝わってきます」
 文・加藤行平/写真・由木直子

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