<1980年からの手紙 幻のモスクワ五輪代表> 進化模索 目の前のことに集中 ハンマー投げ・室伏重信さん

2020年5月18日 02時00分

ロサンゼルス五輪のハンマー投げで惜しくも予選通過できなかった室伏重信さん=メモリアル・コロシアムで

 陸上男子ハンマー投げの室伏重信さん(74)は、1980年モスクワ五輪で3度目の五輪出場を果たすはずだった。当時34歳とベテランの域に入っていた“元祖・鉄人”は、進化を模索していた時期。「目の前のことに集中」と鍛錬し続けて記録を伸ばし、84年ロサンゼルス五輪出場につなげてみせた。 (永井響太)
 <モスクワ五輪が迫っていた80年4月に中京大の講師に。練習環境が充実し始めた>
 勤めていた大昭和製紙を辞めて母校の日大で働いていたが、練習が満足にできていなかった。そんなときに中京大から誘われて赴任した。授業や学生の指導もあり、年齢と疲労度を考えて3時間以上の練習はせず、できるだけ疲労をためないようにした。ハンマー投げ専用の練習場を復活させて、競技に打ち込めるようになっていた。
 <5月に日本タイ記録を出して代表に選出。順調に進んだ中で日本が不参加を決めた>
 71メートル14を出せたことで、まだ現役でやれると思った。モントリオールで11位に終わり、世界との差を痛感して競技をやめようと思ったから。代表に決まってからはソビエトがアフガニスタンに侵攻しているという話があって「出ていいのかな」と複雑だった。いざ決まったときは「仕方ないな」と。世界には82メートルを投げる選手もいて自分とはかけ離れていた。強豪と戦える準備もできていなかったしね。
 <84年ロサンゼルス五輪も出場。4度目の五輪までモチベーションを維持した>

1984年ロサンゼルス五輪で、室伏重信さんが持つ日の丸を先頭に入場行進する日本選手団

 モスクワに出られなかった時から、とにかくあと1年頑張って記録を伸ばそうとの思いだけ。そんな気持ちで取り組んだら、記録が75メートル96まで伸びた。
 中京大で練習できる環境があったし、4回転の投げ方の研究も重ねた。体力が落ちないようにすることと、体をどう動かすかが分かってきた。学生への指導で欠点や足りない部分などを探して指摘することが、自分の勉強にもなった。いろんなことが重なってモチベーションを高められた。
 <東京五輪が1年延期。代表選考のやり直しを提案する>
 決まった代表を覆すわけにはいかないかもしれないが、1年で勢力図は大きく変わる。できたら、メダルを取れそうなずばぬけた選手は代表として維持して、そのほかは最終選考会をやるべきだ。
 <ピークの合わせ方や気持ちの維持が難しくなる>
 スポーツは「心・技・体・調」。調はピークをどこに持っていくか決めて練習すること。五輪に向けて四つを高めるには選考会をやらないと難しい。スポーツは調子の波があるので、代表決定は本番の1カ月前が一番いい。
 モスクワと東京五輪では状況は違うが、難局ではスポーツが「二の次」になってしまいかねない。選手は今後をどう過ごしていくかが問われる。平時には考えないことだが、一人一人が、スポーツのあり方を考えていくところにある。

◆「アジアの鉄人」

<むろふし・しげのぶ> 1968年に日大を卒業後、大昭和製紙に入社。72年ミュンヘン五輪8位、76年モントリオール五輪11位、84年ロサンゼルス五輪14位。アジア大会は70年を皮切りに86年まで5連覇、日本選手権10連覇を誇るなど「アジアの鉄人」と呼ばれた。長男の広治さんは2004年アテネ五輪男子ハンマー投げ金メダル、長女の由佳さんも女子ハンマー投げ日本記録保持者。中京大名誉教授。中国河北省生まれ、静岡県沼津市出身。第1回中日体育賞受賞。

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