「大丈夫と思っていたのに」 志村けんさん死去 東村山に献花台 広がる悲しみ
2020年3月31日 02時00分
新型コロナウイルスによる肺炎でタレントの志村けんさんが亡くなり、出身地の東村山市では30日、驚きと悲しみが広がった。西武線の東村山駅東口にある「志村けんの木」近くに市は献花台を設置。花を手向け、冥福を祈る市民らの姿が見られた。 (服部展和、竹谷直子)
献花台の前で手を合わせていた市内の大学生村松健太さん(21)は「小中高と志村さんと同じ学校だった。卒業式などに電報を送ってくれた。大丈夫と思っていたのでショック」と肩を落とした。
練馬区から訪れた会社員小沢美樹さん(39)は「物心ついたときからファンだった。笑いに温かみや優しさが感じられた。危ないかなと思っていたけど、本当に亡くなるとは…」と声を詰まらせた。
「志村けんの木」は一九七六年、志村さんの「東村山音頭」がヒットし、市の知名度を押し上げた功績をたたえて植樹された三本のケヤキ。市の木でもあり、市制五十周年の二〇一四年には記念のプレートも設けられた。市は両年とも志村さんに感謝状を贈っている。
志村さんは一五年一月号の市の広報紙で、渡部尚市長と対談している。子どものころは自宅周辺が一面の畑だったことや、中学生のころからコメディアンを目指していたことなどを披露した。
当たり役となったおばあちゃん役については、祖母と出掛ける機会が多く、会話や腰を曲げて歩く姿を見ていた経験が生きたという。「寝るときはどうやって寝てるんだろうと思って、そっと見に行ったことも」と鋭い観察眼を思わせるエピソードも語っていた。
渡部市長は取材に対し「素晴らしい笑いを、元気を届けてくれた。ファンの一人としても残念だ」と沈痛な面持ち。志村さんが東京五輪で市内を走る聖火ランナーに決まっていたことに触れ「元気に走る姿を市民に見せてほしいと願っていたのだが」と声を落とした。
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