ソ連破れてマックあり 崩壊前年に1号店 米国流スマイル定着30年

2020年1月27日 16時00分

1990年に開店したモスクワのマクドナルド1号店で客にほほ笑む従業員=スプートニク

 「鉄のカーテン」を飛び越え、ハンバーガーはやってきた。米国発祥のマクドナルドが旧ソ連の首都に店を構えて三十一日で三十年。資本主義国のファストフードと接客サービスが共産主義に与えた衝撃は今も語り草だ。冷戦終結までの道のりに重ね「革命的」と呼ばれたマック進出を振り返る。 (モスクワ・小柳悠志)
 バーガーを頬張るとパテと野菜が口の中で混じり合う。かつてはソ連、今はロシアの首都、モスクワのマック一号店は一九九〇年の開業以来、市民にとって憩いの場。木調を生かした内装で現在はタッチパネルで注文もできる。
 「昔は入店まで一時間待ちの行列。注文したらすぐに料理が出てきて、味の良さにも驚いた」。元ホテル従業員のゾーヤさん(74)はオープンから一カ月後に初めて店を訪れた。
 ロシアメディアによればオープン当日の客は三万五千人超。それまで記録を持っていたハンガリー・ブダペスト店の九千百人の四倍近かった。当時はバーガー一個一・五ルーブル。平均月給は百五十ルーブルの時代だから高価な食事だった。
 「若者がレジ係で立っていることに驚いた」と航空会社社員のビクトルさん(70)は振り返る。国民がみな働いていたソ連時代、レジは主に中年が担当。対してマックは若者ばかり採用した。
 求人広告を見て応募したのは二万二千人。採用枠は六百人で、最高学府モスクワ大卒業生や元パイロットなどエリートばかりが選ばれた。彼らが面接で返事に窮したのが次の質問だ。
 「四時間続けて、笑顔でいられますか」
 簡単に見えても難題。ロシア人は初対面の相手にほほ笑み掛ける習慣がない。「意味なく笑うのはばかの証拠」なんてことわざもある。氷の表情を保つか、西側の世界に染まってほほ笑むか-。応募者たちは後者を選んだ。
 接客時の笑顔。「いらっしゃいませ/ありがとうございました」のあいさつ。ソ連式の無愛想な接客に慣れていた客は驚き、気味悪がった。客のショックを和らげるため、開店から少したつと、笑みを少し抑えるようマニュアルも変更になったらしい。
 「黒船来襲」とも言える異文化の流入だが、開店までに十四年を要している。
 発端は七六年のカナダ・モントリオール五輪。ソ連派遣団は現地でマックの味に魅了された。故郷でも食べられたらいいなぁ…。そんな夢をかなえたのがアレクサンドル・ヤコブレフ駐カナダ大使(当時)。
 後にソ連書記長に就任したゴルバチョフ氏の右腕となり、政治局員としてペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)を進めた政治家だ。それ以前はブレジネフ書記長らの指導部と反りが合わず、カナダに「島流し」にされていた。
 ヤコブレフ氏がモスクワに戻ると、一気に話は進んだ。カナダ・マクドナルド社とモスクワ市食料局は合弁会社を設立。モスクワに一号店ができたのは「ベルリンの壁崩壊」、米ソ首脳による冷戦終結宣言の約三カ月後。マック進出は冷戦終結と表裏一体のペレストロイカの成果だった。
 バーガーを食べたソ連国民にとって資本主義の国は憧れの存在に。「西側を敵と呼んだのは政府だけ。ソ連のレストランは衛生状態が悪く時に腹を壊したが、マックでは一度もない」。年金生活者のマルクさん(79)はこう目を細める。
 ソ連は翌年の九一年に崩壊。社会主義の象徴だったレーニン廟(びょう)の前の行列は途絶え、代わってマックの店舗数は増えていく。「国破れてマックあり」の様相であった。
<ロシアのマクドナルド> 現在、全土に約650店あり、1日平均の来客数は140万人超。食材の98%はロシアで調達。モスクワのマックで働く従業員給与は月額平均3万ルーブル(5万4000円)。日本マクドナルドホールディングスのサラ・カサノバ社長はカナダ・マクドナルド社に入社後、ソ連崩壊後のモスクワに赴任した経歴がある。

現在はタッチパネルで注文できるモスクワのマック1号店=小柳悠志撮影

関連キーワード


おすすめ情報

国際の新着

記事一覧