見えない線/復興って…/生きていれば…

2019年8月2日 02時00分

小川慎一(44)社会部記者

◆見えない線

 放射能の汚染度合いを調べる線量計を手に町を巡る。そのことにすっかり慣れた。東京電力福島第一原発事故の被災地域を取材するようになって三年半、それが非日常で異常なことだと忘れてしまいそうになる。
 「放射能の見えない線が引かれてしまった」。福島県楢葉町で不動産業を営む新妻宏明さん(60)の言葉が、長引く汚染を象徴する。福島第一に近い隣町に住む男性から線量の値が書かれた紙を示されて、「引っ越したい」と頼まれたこともあったという。
 「まだ高いんだなあ」。数値を見たいと線量計をのぞきこむ人の多くが顔をしかめる。見えない線が消える日はまだ先だ。

◆復興って…

 朝八時、電話が鳴った。「これからの先が見えなくて」。原発事故で福島県富岡町から、いわき市に避難している女性(56)の声だった。清掃の仕事の面接で「東電から賠償金もらっているし、働かなくてもいいでしょ」と言われたという。こんなことが二、三度続いたそうだ。
 女性は昨春、いわき市の仮設住宅から二キロほど離れた新しい団地に移った。だが半年もすると、「毎日が地獄」とメールが来るようになった。約七年の仮設暮らしでできた友人らと離れ、「話し相手は東電の賠償窓口の人ぐらい」とこぼす。
 三年前に女性と出会った仮設住宅には、二百二十戸のうち十六戸に二十七人が今も暮らす。ただ七月中旬に訪ねると、洗濯物を干していた家が二軒あっただけ。この「仮の町」は来年三月いっぱいで役目を終える。

◆生きていれば…

 夏の甲子園に出場が決まった前橋育英高校(群馬県)。校名を見る機会が増えるこの時季になると、一人の少年のことを思い出す。六年前に入学するはずだったが、直前の三月に岐阜県内の中央道で起きた交通事故で命を失った。十五歳だった。
 岐阜支社時代にその事故を取材した。少年はスポーツ万能でバレーボール部のエース。高校では水泳の高飛び込みに挑戦するつもりだった。「頂点に立つ」。そう夢を語っていたと、前橋市の自宅で両親や親友が、笑顔の遺影の前で教えてくれた。
 生きていれば、夢をかなえて東京五輪の日本代表になっていたかもしれない。無数の「かもしれない」が頭をよぎる。
<小川慎一(おがわ・しんいち)(44)> 町工場が多い東京都大田区出身。亡き父は溶接工、その仕事に今も憧れる。2003年入社。原発取材班キャップ。速足で近づく老眼の恐怖から逃げる日々。

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