国の壁越え、声援響く 柔道韓国代表・金義泰さん

2019年8月1日 02時00分

銅メダルを獲得し、両親から祝福される金義泰さん=日本武道館で(同氏提供)

 柔道が初採用された1964年の東京五輪中量級で韓国代表として銅メダルを獲得した金義泰(キム・ウィテ、通名は山本義泰)さん(78)。両親は韓国・釜山出身で、自身は神戸市で育った在日2世だ。前回の東京五輪でどのような経験をし、1年後に迫った五輪へ何を思うのだろうか。 (森合正範)
 <中学から柔道を始め、兵庫・神港高(現神港学園高)、天理大と強豪校を歩む。プレ五輪で銀メダル。本番まで日本で稽古に励んだ>
 天理大で後輩たちと乱取りして(韓国代表では)一人で行動していました。韓国の記者から「なぜ韓国でやらないんだ」と言われてね。「一緒に稽古できる人材がいるか調べてくれ」と言いましたよ。あっちに行って(レベルの差がありすぎて)けがをさせたり、させられても困るから。
 <大会直前は韓国記者の取材攻勢で集中できなかった。思い出すのは殺伐とした雰囲気だという>
 韓国から「勝たなあかん」というプレッシャーを感じました。まだ日韓国交正常化の前で反日感情がものすごかった時代。韓国の記者は日本を敵視して、変なことばかり聞いてくる。「あんたらそう言うけど、私の幼友達はみんな日本人や。そんなこと言うなら、帰れ」と怒りましたよ。在日韓国人に対して、日本人と同じように見ている人もいた。途中から一切相手にせず、取材は全部断りました。
 まあ、記者の気持ちも分からないわけではないんです。反日教育を受けて、日本に来て。そういう記事がほしかったんじゃないですか。
 <初戦から順調に勝ち進み、準決勝で宿命のライバル岡野功と対決。15分を戦い抜き、惜しくも敗れた>
 岡野君は抜群に試合運びがうまかった。あれは天才的だった。私は五輪に出ればメダルは取れると思っていたけど、終わったときにはホッとしました。それと準決勝で岡野君と当たらない、別の組み合わせなら銀メダルだったなと思った(笑い)。でもね、これが運というもの。

1964年東京五輪の銅メダルを首から下げる金義泰さん=奈良県天理市内で

 神戸の人は、国に関係なく、みんな私の応援をしてくれました。大会後にはね、戻ったらパーティーをやってくれたり。うれしかったですね。
 <柔道で韓国初のメダリスト。母国でヒーローになり、体育勲章を受章した>
 釜山に降りたときには駅に高校生、大学生がざーっと2000人くらい出てきてくれてね。他の在日のことは分からないですが、私の場合は(日韓)どちらも喜んでくれた。恵まれていたと思います。
 大統領表彰で呼ばれてね。「負けて申し訳ありませんでした」と伝えたら、朴正熙(パク・チョンヒ)大統領は「1位、2位、3位は紙一重。気にすることはない」と日本語で言ってね。驚きましたよ。「紙一重」なんて難しい言葉がすっと出てきて。日本語うまかったなあ。
 金、銀、銅は僅差ということ。そう言ってもらえたことがありがたかった。「ありがとうございます。また頑張ります」と答えてね。本当にいい経験をさせてもらいました。
 <あれから56年。東京に再び五輪がやってくる>
 日本と韓国で貿易やら政治やら、いろいろありますねえ…。私は1976年モントリオール五輪で韓国代表監督になったり、天理の柔道部師範として日本代表を育ててきました。少し意地悪な人は「日本と韓国のどっちを応援するんですか?」と聞いてくる。天理の選手が出たら、絶対に応援しますよ。人間の情とはそういうものでしょ。国どうのこうのより、情ですよ。
 18、19歳の子たちが一生懸命やっているのに、民族とかどうのこうの言ったらあかんって。韓国代表でいま知っている選手はいない。だから、天理の選手以外の試合は中立です。もうスポーツで反日や嫌韓の時代やないですよ。

◆母国で五輪監督 メダリスト育成

受章した韓国の体育勲章の3等級にあたる巨象章。大切に保管してある

 金義泰さんは引退後、76年モントリオール五輪で韓国の監督を務めた。「当時、あらゆるスポーツで在日韓国人が代表監督になるなんて考えられなかった。韓国の体育協会と柔道連盟は、私がいた天理大の稽古量が多いと認識していたのでしょう」と振り返る。
 代表選手を天理大に呼び寄せ、稽古を積んだ。率先して選手の練習パートナーになり、1日200本以上投げられることも。独学の韓国語と漢字で指導したという。
 モントリオールで銀1、銅2の三つのメダルを獲得し、韓国柔道の礎を築いた。同時期に日本では岡野さんが代表コーチに就き、立場を変えて対戦した。金さんは「岡野君とは縁があるんですよ。(韓国は)日本に全部負けたけど、ええ試合をした」と笑みを浮かべた。
<キム・ウィテ> 1941年6月2日生まれ。神戸市出身。61年世界選手権から韓国代表として出場し、無差別級4位。63年プレ五輪で銀。64年東京五輪で銅。65年世界選手権も銅。76年モントリオール五輪の韓国代表監督。現在は天理大名誉教授、神港学園の理事を務める。

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