あいちトリエンナーレ 補助金の一転交付は怪しさだらけ <寄稿>志田陽子・武蔵野美術大教授

2020年4月7日 17時29分

あいちトリエンナーレへの補助金交付について記者会見する文化庁地域文化創生本部の三木忠一事務局長(奥右)=3月23日、文化庁で

◆提訴直前のタイミング 県が意見書で「遺憾」 

 三月二十三日、不交付とされていた「あいちトリエンナーレ2019」への文化庁補助金が、一転、一部交付されると発表された。事業が採択された後の不交付決定も異例中の異例だったが、いったん出た決定を変更する決定が行われたということは、さらに前代未聞の出来事である。
 今回の決定に先だつ三月十九日、愛知県側から文化庁に「意見書」が提出された。その内容は、「安全や円滑な運営を脅かすような事態が想定されたにもかかわらず、県として文化庁に申告しなかったのは遺憾」として、補助金交付の金額を減額した上で交付を再申請する、というものだった。警備などにかかった費用約千二百万円を愛知県の支出とすることにして、文化庁の補助金からは減額するという案だった。
 文化庁はこれを受けて、申し出のとおりの一部交付を決定したわけである。
 その前提として、三月二十六日を過ぎると愛知県が国を相手取って提訴に踏み切ることになっていた。このタイミングでの和解は、訴訟になることを避けると同時に、年度をまたぐことを避けたものと考えられる。
 この「決定劇」は、芸術表現の自由を擁護するためのもの、あるいは、擁護につながるものと言えるだろうか。

◆「表現の自由」熱く語った姿はどこへ

文化庁の決定を受け会見する愛知県の大村秀章知事

 愛知県の大村秀章知事は芸術祭開催期間中も、その後の会見でも、「検閲」を自制し、「表現の自由」を擁護すると熱く語っていた。裁判についても「法廷で文部科学省の対応をただし、不交付を撤回してもらう」と提訴の姿勢を強調していた。そんな知事を思い起こすと、この会見は対照的だった。ある種の諦観のような空気が漂っていた。
 この決定劇の要点は、愛知県知事が、あたかも「文化庁の言うとおりだ」という姿勢に転じて自発的に国に詫び、「今後は連絡を密に」すると申し出たことである。文化庁がこれを受け、愛知県が「今後の改善を表明したこと」に免じて、円満に収めた。上下関係が明確に演出された「劇」だった。小の虫を殺して大の虫を助けるということわざがあるが、これは、「千二百万円と知事の面子」を「小の虫」として手放した、という話で終わりにはできない。
 「連絡を密に」、「改善」、そして合意。これは、今後の芸術祭では展示内容に関する事前報告を細部にわたって行う、という意味かもしれず、そうなれば、現在その設置が発表されている「ひろしまトリエンナーレ」の事前検討委員会のような方式をよしとする合意がなされた、とも読めるのである。そうなると、芸術家側の自由度は、むしろ狭まらないか。

◆議事録の開示を避けるため? 声上げ続ける必要

 次に、決定手続きの不透明性の問題が、まったく払しょくされていない。
 九月に発表された文化庁の不交付決定が、実質的には誰によってなされたのか。その議事録もない。文化庁は、訴訟になればそこの部分を開示せざるをえなくなるため、これを回避するためにこの案に応じたのではないか。

東京・霞が関の文化庁

 もしもそのために文化庁と愛知県知事が「これで収めましょう」と合意したのであれば、この「政治的」決着は、憲法(法治主義)の見地からはマイナスである。文化庁は、訴訟が回避されたこととは別に、ことの経緯をもっと踏み込んで開示すべきである。「記録が開示されない」ことで紛糾しているさまざまな他の問題と同根である可能性があるからである。
 だからこそ、社会でこうした問題が可視化されたことの意義は大きい。多くの人の声と注目が、この成り行きに影響を与えた。そうした人々の努力を称える意味では、「よかった」と言いたい。同時に、こうした文化行政の課題に法で解決をつけるには限界がある。だからこそ「表現の自由」を求める人々が声を上げ続けて、慣例を作り上げることが大切である。その必要は、今回の決定劇で、高まったと言える。 (しだ・ようこ=武蔵野美術大学教授・憲法)
 (4月2日夕刊文化面に掲載)

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