「別れ」について

2020年3月30日 02時00分
 ポピュラー音楽の歴史を変えたザ・ビートルズの解散から、もうすぐ半世紀。一度は気持ちを一つにした人たちが、なぜ離れていってしまうのか。旅立ちの季節に「別れ」について考える。
 <ビートルズの解散> ビートルズはメンバーの仲の良さで知られていたが、やがて内紛が発生。1970年4月10日にポール・マッカートニーが脱退を表明し、解散に至った。当時、ポールは「僕がビートルズをやめたんじゃない。ビートルズがビートルズであることをやめたんだ」(『THE BEATLES アンソロジー』による)と述べた。

◆新しい環境への出発 シンガー・ソングライター 半崎美子さん

半崎美子さん

 卒業は旅立ちです。そこでは別れと出会いが同時にありますが、私の中では、別れの悲しみより新しい環境に向かっていく喜びの方が大きいですね。
 卒業シーズンに学校を訪ねて生徒さんたちと一緒に合唱する活動をしています。昨年は、生徒が減って閉校になる学校にも行きました。卒業という大切な節目に歌でエールを送ってほしいと教員の方や校長先生から声を寄せていただきました。生徒たちの心に届くかなと不安もありましたが、感受性豊かな子どもたちに感動しました。
 今年は、新型コロナウイルスの影響で卒業式が中止や縮小になった学校もあります。私も行く予定だった八校のうち、三校だけ実現しました。先生から子どもたちが一生懸命に練習していたと聞くと、胸が痛みます。でも彼らは、自分たちで記念の動画を作ったり、いろいろ工夫していて、たくましく、あしたを切り開いていると信じます。
 デビュー曲の「サクラ~卒業できなかった君へ~」は、学校でもよく歌います。友人の高校時代の同級生が卒業を前に亡くなり、一緒に卒業することができなかった友人や先生たちが同級生をしのんで校庭にサクラの木を植えた。その話を聞いたあとに書きました。
 卒業式で歌うのはどうか、という意見もあるでしょう。でも私は、卒業できるのが決して当たり前ではないこと、そして無事に卒業できたことへの祝福と卒業できなかった人へ思いを送ることを歌を通して伝えています。この歌は、学校以外でも、被災地や病院などで歌っていますが、多くの人が同じような別れの経験や思いを抱えていることを知りました。
 私自身、忘れられない別れは歌手を目指して大学を中退し、北海道から上京したときです。二〇〇〇年三月、ちょうど二十年前です。父に猛反対され、それでも夢は捨てられませんでした。まだ雪深い朝、仕事に出掛ける父に「行ってくるから」と声を掛けたけど、父は無言で車に乗って去っていきました。認めてもらうまで帰って来られない。故郷との別れでした。
 今は父も応援してくれていますが、当時は本当にこたえました。でも、夢を追うためには強い覚悟で何かをあきらめ、手放すことが必要なときもあります。私の上京は、そういう別れと出発だったと思います。
 (聞き手・越智俊至)
 <はんざき・よしこ> 1980年、北海道生まれ。2017年にメジャーデビュー。新曲「布石」を今月リリース。今夏、コンサートツアーで全国6都市を回る。名古屋公演は7月5日、東京は8月16日。

◆青春に終わり告げた 劇作家、演出家 マキノノゾミさん

マキノノゾミさん

 学生時代の演劇仲間と旗揚げして二十六年間活動した劇団「M・O・P」が解散して、今年で十年になります。
 発足は大学を卒業してからでした。仲間の一人が言うには、老後は金も時間もあるが体力はない、それじゃ芝居は駄目だ。老後の時間を先食いというか、付けを回して今やろうと。演劇って、はまると長いんですよ。
 三十歳の手前で脚本を書き始めました。ちょうど「このままじゃまずいんじゃないか」って思う時期です。幸い、それから四年ほどして青年座さんから脚本の依頼が来て、それが好評でぼちぼち仕事が来るようになりました。まさに転機。劇団も含めて行けるところまで行こうと覚悟を決めました。
 当時、皆で「劇団の仕事だけで食えるようになりたい」と話していたら、各地の演劇鑑賞会のルートに乗る話が来ました。でも、それは同じ演目を何年も続けることを意味していた。自分たちがやりたいこととは違うと断りました。その時、劇団では食えないと思い至りました。俺たちは一人一人、ソロでプロになろう。劇団の芝居はプロ野球選手が趣味で集まって草野球をやるみたいにやろうと。
 草野球なら、なぜ解散したか。一言で言うなら「もう青春も終わりやろ」。一つは経済的な問題です。日本は文化への公的助成が圧倒的に少ない。新劇の劇団のように人数が多いか、逆に四、五人ぐらいの小さい劇団だったら続いたかもしれません。でも、僕らは十数人の規模で、会社組織にもなっていない集団というか徒党。一度失敗すれば数千万円の赤字が出る。若いうちなら頑張れますが…。もう一つは、それぞれの進む道が違ってきたこと。このまま行くと、ただ崩壊するかもしれないと感じるようになった。
 そこで、劇団をどう終着点に軟着陸させるかを考えるようになりました。皆が幸せに解散できる道を。そして三年後に解散するぞと宣言。誰も反対しませんでした。皆じわじわ終わりを感じていたんでしょうね。
 今願うのは、ジョンとポールが一緒のバンドだったことが夢みたいに、この人もあの人もM・O・P出身なのかと驚かれるようになることですね。そう思うのは、仲間が親類のようなものだから。劇団は僕らにとって今も実家。もう建物はなく、駐車場になってしまいましたが(笑い)。
 (聞き手・大森雅弥)
 <マキノノゾミ> 1959年、静岡県生まれ。読売文学賞、鶴屋南北戯曲賞など数々の賞を受賞。脚本を担当した「昭和虞美人草」が6月に東京で、「巌流島」が7~9月、東京、名古屋、大阪、福岡で上演される。

◆今を生き切る死生観 倫理学者・東大名誉教授 竹内整一さん

竹内整一さん

 「わかれ」は、古語辞典によると「入りまじり一体となっているものごと・状態が、ある区切り目を持って別のものになる」こと。必ずしもマイナスの意味ではなく、何かが展開していくときの一つの区切りです。
 「さらば」「さようなら」、あるいは「それでは」「じゃあ」など、日本人の別れ言葉には、そのことがよく表れています。世界の別れ言葉は、「グッドバイ」のように神のご加護を願うもの、「再見」のように再会を願うもの、「アンニョンヒケセヨ」のように無事を祈るものの三つに大別されますが、「さらば」「さようなら」は、そこには分類されない、本来、接続詞だった言葉です。
 そこには、「さようであるならば」と、いったん立ち止まり、これまでのことを確認・総括することによって次のことへ進んでいこうとする独特な発想があります。しばしば「いざさらば」「よしさらば」などと、弾みや踏ん切りをつけて別れることもあります。「さようならば」で別れるということは、この先どうするかまでは語らずに別れることです。これまでのことを踏まえ総括すること自体において、この先も何とかつながっていけるといった思いがたくまずに込められています。
 死という別れにおいてもそうです。日本人の死生観には、明日そのものが目指されるというより、今日までの場を生き切ることが明日につながるという発想が見られます。本居宣長は、死後の世界などわからないと言う。ただ死は悲しいのは事実だから、その悲しみをひたすら悲しめばそれで済むのだと。それを理屈であれこれ悲しくないように説くのは間違いだとも。
 人は今、四六時中ネットワークにつながり、別れが見えにくく、希薄化しています。葬儀とは別れの儀式ですが、そこをとばして遺体を火葬場に持って行く「直葬」も増えています。
 仏教思想家の金子大栄は「花びらは散る。花は散らない」と言いました。物質としての花びらは散らざるを得ないが、確かに咲いたという事実としての花は散らずに残るということでもあります。が、花びらは散るという不可避の真実を踏まえない限り、散らない花=魂はきちんと受け止められない。「さようなら」は“花”を確認するあいさつです。死者という魂と出会い直すための祈りの言葉のように思います。
 (聞き手・大森雅弥)
 <たけうち・せいいち> 1946年、長野県生まれ。著書に『魂と無常』『日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか』『日本思想の言葉』『ありてなければ』『「やさしさ」と日本人』など。

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