<ふくしまの10年・マスター、もう少し聞かせて> (10)行政の線引きで分断

2020年5月30日 07時06分

東京五輪の「復興の火」点火式会場。全員が震災犠牲者に黙とうをささげた=福島市で

 福島市の居酒屋「せら庵」のマスター江代(えしろ)正一さん(71)は郷土史に詳しい。幕末の戊辰(ぼしん)戦争以降の東北各藩と新政府軍について語る時、「分断統治」という言葉を使う。そして、それは原発事故後の福島にも当てはまると説く。
 「為政者が、待遇や与える金銭によって、支配される側を分断し、団結力をそぎ、孤立させることが統治に都合がいいんです」
 江代さんの話を聞いて、富岡町で工務店を営んでいた杉義己さん(71)のことを思い返した。
 原発事故で、自宅は「居住制限区域」(二〇一七年四月に解除)に指定された。細い道路を隔てただけの東側は、許可なく立ち入れない「帰還困難区域」となった。
 両区域とも避難を強いられたのは同じだが、区域の指定が違うだけで、賠償金は帰還困難区域の方が一世帯にすると数百万円は高くなる。
 同町の帰還困難区域内に住んでいた女性(78)は賠償金について「必要な書類がそろっていたので、規定通り、すんなり出ましたよ。えっこんなに?って思うほど」と話す。
 居住制限区域の杉さんは仕事を失い、娘一家のほか、妻も病気療養の関係で新潟県に避難したまま。県中部の県営住宅に一人で暮らす。
 「うちの職人とは親しくしていた。帰還困難区域に自宅があり、もらった賠償金の額が桁違い。放射線量の高さはたいして変わらないのに。彼に何の恨みもないけど、会話が少なくなり、疎遠になっちゃったんだよ。行政の都合で引いた線のおかげで、俺の人生は劇的に変わっちゃったんだ」 =おわり
(長久保宏美が担当しました)

関連キーワード

PR情報