ライブ文化、絶やさない コロナで窮地「ライブハウスを創った男」は今

2020年5月30日 08時21分

「ロフトプロジェクト」社長の加藤さん(左)と元会長の平野さん(右)


 密閉、密集、密接の「3密」空間で生演奏や飲食を楽しむライブハウスが、新型コロナウイルスの影響で窮地に立たされている。ライブ文化はどうなるのか。世田谷区のジャズ喫茶からスタートし、全国各地にライブハウスを展開してきたロフトグループに焦点を当て、考えた。
 「辞任じゃなく引退したかった」。新宿ロフトなど全国に十店舗ほどを展開する「ロフトプロジェクト」元会長の平野悠(ゆう)さん(75)は語る。渋谷区の「LOFT HEAVEN」で三月、イベントの出演者から感染者が出た責任を取り、平野さんは会長を辞任した。観客として来ていた脚本家の宮藤官九郎さんも、ここで感染したとみられている。
 平野さんは、ロフトグループの創業者で「ライブハウスを創った男」として知られる。始まりは一九七一年三月。平野さんが世田谷区の京王線千歳烏山駅近くに開いたジャズ喫茶「烏山ロフト」だった。そこには芸大大学院生だった坂本龍一さんがよく通っていたという。
 七三年、ジャズやロック喫茶が多く若者文化の中心だった中央線沿いに憧れていた平野さんは、初のライブハウスを西荻窪に出店。桑名正博さんや南佳孝さん、坂本龍一さん、河島英五さん、浜田省吾さんと、今みると超豪華な面々が出演していた。「ほかにライブやるとこなかったからね」と平野さんは振り返る。

1975年12月のオープン当時の下北沢ロフト(右)と当時のチラシ(左)=ロフトプロジェクト提供

 その後、荻窪や下北沢、新宿…と、店は増えていった。七八年八月、サザンオールスターズが注目されるきっかけとなった「ザ・ベストテン」(TBS)の今週のスポットライトコーナーへの初出演も、新宿ロフトからの中継だった。
 この二月には、「出発の地」世田谷区の下北沢駅前に、下北沢では三軒目となる「フラワーズ・ロフト」が新たに誕生。同プロジェクト社長の加藤梅造さん(53)は「『ジャスミン革命』など革命の名に付くことが多い『花』には平和と抵抗のイメージがあり、ロックと親和性がある」と、店名の由来を説明する。
 しかし、オープン早々に、コロナの騒動が起きた。「先が見えない」(加藤さん)状態が続く中、同店はカレーライスなどを食べられるスペースを屋外に設け、テークアウトもして苦境をしのいでいる。

今年2月、フラワーズ・ロフトのステージで熱唱するしりあがり寿さん(左から2人目)=世田谷区で

◆「動画配信盛んになっても、人は熱い体験求める」

 今後、ライブハウス文化はどうなるのか。音楽ライターの富澤えいちさん(59)は「演奏側も観客の反応を織り込んで曲を作り、ライブハウスは音楽文化を担ってきた。とはいえクラスター(集団感染)が出やすいのは確か。コロナ後に、レガシー(過去の遺産)とならないよう、活動再開モデルを業界から行政に自主的に提案するのも大事では」と話す。
 ライブハウスをつくって半世紀になる平野さんは「コロナはライブ文化を殺した、などと言われるけれど、内なる精神に耳を傾け、その表現を熱い思いで共有するライブは人間の原点。いくら動画配信が盛んになっても、その体験なしに人は満足できないと思う」と長年の経験から語る。
 西村康稔経済再生相は二十五日、ライブハウスなどの営業再開について、感染防止策がとれれば「六月下旬から休業要請を解除する」と語った。多額の借金を抱えての再出発となるが、加藤さんは「再開の時期を考えている」と話す。コロナ後も、ライブ文化の火が消えないことを期待したい。

フラワーズ・ロフトは今はテラス席を設け、カレーライスなどを販売している


文・岩岡千景/写真・嶋邦夫、岩岡千景
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