<再発見!伊豆学講座>江戸時代の江川酒 克明な製法書を発見

2020年5月31日 08時02分

酒を搾る器具の図などが記された製法書(江川文庫所蔵)

 正保四(一六四七)年の、俳句の季語を集めた「毛吹草」には、大坂に入津する諸国の産物の内に「抦川(えがわ)酒」があげられている。北条早雲が活躍した戦国時代から江川酒は全国的に有名で、二〇一八年十一月十一日付朝刊の本欄でも書いた。今回は江戸時代の江川酒を取り上げたい。
 つい先日、江川文庫史料群内に年不詳ながら「江川家御手製の酒の法」という江川酒の製法書を見つけ出した。書かれている字体から江戸時代中期と考えられる。元禄十一(一六九八)年に製造中止となったことから、これ以前か、この頃と推定する。
 なぜなら、製造中止となり、記録しておく必要があったからだと考えられるからである。克明に図を描き、そのとおりに道具を作り、順に米とこうじ、水を合わせるところから行えば江川酒ができる。最後に「他言あるべからざるもの也」で結んでいる。
 元禄十一年は、幕府が財政難にあった。そのため金銀山の開発と、コメの支給を受ける禄米(ろくまい)取りであった旗本に知行地を与え、そこから年貢として税を取り立てる政策を立てた。支出を大幅に減らすことで、財政の立て直しを図ったのだ。
 同時に、代官がそれまで幕府に納める年貢米の十分の一を手当として受け取っていたものを廃し、こちらは禄米取りに代えた。幕府は酒造に米を回され年貢米を確実に納入させることができないことを危惧したのである。代官は手元に米がなくなり、酒造ができなくなった。米は村から直接浅草の蔵へ運ぶため、江川邸内の蔵は不要となった。
 さて、製法書の江川酒であるが、前回「清酒」と書いたが、そのとおりで安心した。「米はへり候にかまわず上精(じょうはく)につくべし、米のつきようそまつなれば酒にごり申し候」とある。上白米にしなければ濁り酒になると、書かれている。すべてを白米から作る諸白(もろはく)の清酒であった。
 元造り仕込み八日、元添え五日、中掛五日、仕廻掛十日で、酒ができあがる。その後、布で搾って清酒にする。数量を記載してあり、一度に三石七斗五升(六百二十キログラム余)の酒ができた。この工程をわかりやすく解説し、酒造道具もすべて製作できるよう図解している。酒造をやめても復活できることを願って記録したものと思われる。最後に、酒かすで焼酎、もち米を使ってみりんを作るところまで解説している。
 伊豆の国市韮山地域では現在、江川酒を復元し万大醸造(伊豆市年川)に依頼して製造している。田植えから収穫まで人力で行い、酒にかえるという手段をとっている。江川酒を広げていただいてありがたいかぎりだが製法書に従っているわけではない。
 今回、この記録を見つけ出させたのは、兵糧パンを復元したように、江川酒も製法書にそって復活せよと言われている気がしてならない。 (橋本敬之・伊豆学研究会理事長)

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